なんと その6時間前には全住民の避難が完了。 小さな子どもから体の不自由なお年寄りまで…なんと住民の皆さんは町を挙げての避難訓練を毎年 欠かさず続けてきたのです。 その時 積み重ねてきた避難訓練が彼らの命を救ったのです。 そこで伊与部山に通じる3本の坂道を避難ルートに設定しました。 いち早く高い所に逃げた上で山の中を通って いちょうの木広場に避難することにしたのです。 最初はいちょうの木広場に避難してから7つの地区ごとに点呼を取る仕組みでした。 そこで2年目の避難訓練から仕組みを大きく変えました。
3年目の避難訓練には地元の消防署も参加。 一馬さん その…しかしこの時西日本豪雨は3年後に迫っていたのです。 避難計画 すごいねえよくできてるなと思ったんですけどもそれよりか自分たちのよく知ってる所のまず洪水を前提ならば一刻も早く 高い所に1次避難。 さあ ここからは防災心理学がご専門で京都大学防災研究所教授の矢守克也さんにもリモートで参加して頂きます。
避難スイッチいろいろなものを材料にできるんですね。 ここで一番として出ているのはいわゆる避難指示とか 大雨警報とかそういった情報を自分たちの避難スイッチというふうに決めておいてもいいしというふうに自分たちで体験できることをスイッチにするという考え方もあります。 やはり自分たちで2人1組で3本の川の偵察部隊を自ら自分たちの増水状況を見てそれで避難スイッチを押そうとそういうふうに決めました。
そこをね 避難訓練に住民を巻き込む工夫ほんとにすごいんですけども矢守先生から見て この下原地区の工夫どう ご覧になりました?ええ。 一つね参考になるかなと思う例をこれはですねそこの駐車場を避難所として 車で逃げるっていう避難訓練なんですけれども逃げてみて下さいってこういう打ち出し方をされたんですね。