サンドのお風呂いただきます「震災特番 岩手 三陸海岸SP」

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この番組のまとめ

ハハハハハハ!小学3年生の時現在も行方不明者を捜索する隊員と家族を捜す被災者とのどうもどうも。 三鉄の 三陸鉄道ですね はい。 さあ 由依ちゃんはどうですか三鉄乗ったことあります?三鉄に乗ったことはないですけども被災地訪問で AKB48の時代に大きくなってるでしょうね 子どももね。 停電になったとこで唯一 ディーゼルカーなんで電気ついてましたね この宮古市の中で。 うちの中で一番大人気なレトロ列車。 ♪「いい湯だね いい湯だね」向かったのは 以前は港を中心に家々が立ち並んでいた 宮古市の田老地区。

親子で懸命に働き…その後 建物は 津波の被害を後世に伝える震災遺構の第1号として物は いっぱい入っていたのでここに詰まって その勢いが今度上に。 従業員には声をかけてみんな避難してまだ 宿泊の人たちはなかったっていうか予約は入ってたけどもチェックイン前だったのでそれは幸いしてましたね。 震災の時 松本さんが避難し津波の映像を撮影したもう 当時から。 松本さんが撮影した津波が町を襲う映像はその怖さを実感してほしいとの思いからだそうです。

自衛隊。 えっ 田老に?荒れ果てた ふるさとで心強く感じたのが復興作業をする自衛隊員の姿でした。 自衛隊に行きたいって聞いた時お父さんは どう思いました?やっぱりすごいお世話になりましたもんね。 自衛隊の方々には。 自衛隊で働きはじめたのはホテルを失った父にそれが こちらですね 「たろう庵」。 私 高校の時に宮古に行って帰りにコロッケ屋さんに寄るんですが苦労したのは 復興工事が多い中旅館を建設してくれる会社を探すことと資金集め。

釜石市はですね 明治時代から製鉄の町として栄えました。 港で待ち合わせたのは釜石海上保安部の方。 震災以降 がれき撤去や行方不明者の捜索を続けてきたそうです。 何? あの電光掲示板。 あんな電光掲示板が。 今日ですね本当はサンドさんのファンも私も すごいファンなんですサンドさんの。 小宮亜蓮という…。 若手で潜水士を目指す小宮さんが船内から中継。 その準備の間に震災時の状況を伺うことに。 その過酷な現場で任務にあたった池田さん 菅野さんに当時の状況を伺うことに。

実は 海上保安庁では…岩手県内は 1,100人以上が行方不明のままです。 震災時は 中学生だった小宮さん。 「釜石海上保安部のお風呂は…」。 東日本大震災による津波の被害でですねほんとに陸高はね 大きな被害でした。 現在は 震災後の復興工事で10メートル かさ上げされております。 有名なのが震災時に 約7万本あった松原から実は枯れてしまったんですけれども復興の希望の象徴として特別な処理をして モニュメントとして残されておりますね。 朗希くんですよ。 行きましょう 朗希くんに会いに。

将来の日本を背負うといわれる二十歳のピッチャーです。 残された母と3人兄弟で 隣町の…中学・高校と 地元で野球を続け今では岩手県民の希望の星となっています。 おっ!何?坦々鍋です。 坦々鍋?ちょっと裏メニューなんですけど。 坦々鍋って 珍しいですね。 自信持ってるわ バカタレ。 朗希さんは 何がきっかけでこの鍋を食べられたんですか?朗希のお父さんの功太が すごい好きで。 震災前 佐々木家では毎年 大晦日に 家族そろってこの鍋を食べることが恒例行事でした。 この日 石垣島でキャンプを行っていた朗希さん。