何か そういう風潮がちょっとあったので俺は 一回中学校後半辺りから 封印したのよね。 だから 最初ダウンタウンの漫才も完全に 紳助竜介さんのまあ ネタは違うけどテンポは 完全に紳助竜介さんやったね。 職業決定するほど ああ この人のもとに行きたいって思ったほど魅了された漫才師は ツービートでありビートたけし師匠であるとやっぱ 思いますよね。 漫才師も 自作で自分のセンスでしゃべるっていうことになりましたよね。
この ホンマは ひと言目の1文字目に「スタジオの」って言えるんすけどちょっと前ですけどびっくりしたのは あの松本さんが エピソードトークして「めっちゃハゲてんねん」みたいな「ホンマにハゲてんねん」。 後の漫才師たちに大きな影響を与えたダウンタウンの漫才はどのように作られたものだったのか?いや いろいろ やり方なんやけどな。 割と こう 日本語… 日本語遊び日本語って面白いなっていうところから俺の根本は来てると思うよ。 日本語遊びなんやろな。
もう 若いやつにウケな意味ないとか言うてたんやけどもう 浜田さんなんかはやっぱ すごい打点が高いっていうかまあ それを多分 やろうと思ったら浜田さんもできるんでしょうけど少ない球種でも 要するに抑えられるんだっていうことがええ~ できるだけこう はっきり分からせたい。 その前説にダウンタウンさんがいた気がするの 私。 確かに 僕も 中学生ん時大阪やったんであの 6時間目に女子が消えるって現象が起きましたもんね。 どういうことですか?ダウンタウンさんを見に行くって言うて。
ごく一部の例えば 紳助さんだけが認めたり深見師匠だけ 認めたりとかあるじゃないですか。 落合さん さすが!落合さんも 一応保険掛けといたのかな。 続いてですが 2000年代に入りますと漫才における画期的な出来事が起きました。 M−1グランプリの誕生です。 M−1で戦ってきた漫才師たちはどのように漫才と向き合ってきたのでしょうか。 漫才師たちにとって憧れの舞台M−1グランプリ。
僕らが 漫才師になった内海桂子の弟子になった時にまあ 師匠が 「言葉で絵を描きなさい」ってずっと遺言のようにおっしゃってた。 だから この2人でやってるプラスここに 何かビジョンが見える漫才っていうのが本当に理想だなって 僕は思いました。 で 最新ので言うとスリムクラブさんまでもくぎづけで 10年間見てた学生生活ですので。 わ~ 優勝したぞと思ったらまた漫才論争っていうね謎の… 何か これが漫才なのかどうかっていう論争が起きましてちゃんちゃらおかしかったですね。
そりゃ だって 方法論というかこうやったら70点以上取れるっていう何かガイドラインみたいなものが出来てるからね。 マヂカルラブリーの子がさ漫才はさ これから開発できる…。 いや 松本さんが言ってた言葉日本語の言葉遊びとかじゃないと無理と思うの。 ベースであるからどんだけ面白い言い回しをするかとかそこを考える力がダウンタウンの2人より上回ってる子が出てこないと違う角度を持ってる子が出てこないと漫才の開発って言ったら あかんと思う…。 それは 多分 ダウンタウンさんもツービートも絶対そうだったと思うんですね。