それを回避し 無血開城に導いた海舟の交渉術に迫ります。 慶応4年1月3日 京都郊外で徳川軍と新政府軍が衝突し勝 海舟を 徳川の代表にしました。 こういう時にやっぱり 想定できるのは勝 海舟が 徳川軍のつまり 味方の強硬派から暗殺されるという事も十分 考えられたわけですね。 日本全体のために戦う前に まずは交渉すべしという正論で押せば西郷は 応じるのではないか?しかし 江戸には血気にはやる武士が大勢いました。 山岡は 駿府の官軍陣地を訪れ慶喜が 本心から恭順している事を説明して和平交渉を促します。
ですから 勝 海舟としては確かに 西郷隆盛は最強硬派でトップを知ったという事はこれは 大きいですよね。 だから一般論として言われてる事は…戦闘を回避し 徳川家が 江戸城を無事 官軍に明け渡すには合意しなければならない条件がいくつも ありました。 超強気とも言える江戸城 明け渡しの条件。 西郷は 武器の保有をはじめ海舟が出した条件を事実上 受け入れ官軍で検討するとしました。 慶応4年4月11日 江戸城が官軍に引き渡されました。