SWITCHインタビュー 達人達(たち)「三浦雄一郎×加山雄三」

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咲き始めた 花と つぼみの形がエベレストに似ている事から七大陸を股に掛け奇想天外な冒険を次々に成功させてきた。 その衝撃の食生活とは?帰国直後から 三浦は一日の休みもなく動き回っていた。 最後の これ キャンプ?キャンプです。 三浦は 5月16日に標高5,300mのベースキャンプを出発。 バランス感覚というのは ものすごく恐怖に変わったりしません?クレバスに ホントに グラグラするジュラルミンの はしごで。 標高8,500mの第5キャンプを目指す。 午後2時20分なんとか 第5キャンプに到着。

キャンプを出て7時間が たとうとしていた。 三浦は この日のうちに第4キャンプに下り無事 デス・ゾーンを脱出。 翌日にはローツェ・フェースを伝って一気に第2キャンプまで下った。 ベースキャンプに戻ろうとした時三浦は 一つの決断を迫られる事になった。 この時 アイスフォールが…さっき見た はしごだとかクレバス…地元のSPCCというアイスフォールを全部管理してる跳んで 渡っちゃいますけど…台風と梅雨が一緒みたいなもんですからそこから 今度は 途中ヘリコプターも飛行機も飛べなくなっちゃいますから。

あ~ それで 何か…今回は 1月の15日…タイムリミット ギリギリで 最後の手術。 トータル30kgの負荷をかけて週3日 3~6時間の散歩をする。 地方に出かける時は代々木駅から東京駅まで山手線内を歩いて横断するのだという。 いつも こうやって歩いてるの?更に 重くして?大体 このぐらいでここから 新幹線 乗る時は東京駅まで歩いてますけど…。 そんな三浦も 実は50代で中年クライシスに陥った事がある。 2人の「トモコ」は意気投合家族ぐるみの交流が始まった。

ものすごい斜面でしょ?富士山の恐ろしさを知っていただけにそれこそ 三浦さんがおやりになった時にはね…1970年加山の親戚が経営するホテルが倒産。 それがね やっぱり もしかしたらこれが俺の天職というかね怖いんですけど…加山さんと同じでね自分で命懸けでやってこれ カトマンズでもね 帰ってきてホント 皆さん 喜んでくれてそれで生きる力をもらったとかね。 加山さんのコンサートでねスタンディングオベーションと全く同じですよ。 加山は日本のエレキサウンドの先駆者でもある。

そんな 加山さんにそんなギャラ 払えないですよ」って言ったら…それで 最初は 1~2か月かなと思ってたんですけど身近に お客さん感じてアドリブでトークをやったりその反応が じかに伝わるその楽しさがやっぱり だんだん自分でも楽しくなってきてここは 自分の音楽を鍛え確認する場所なのだという。