戦後史証言プロジェクト日本人は何をめざしてきたのか 第3回▽釧路湿原・鶴居村

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村内に 釧路湿原を抱える…牛が これから1年間食べる牧草を収穫する作業です。 湿原の生態系を守れという声が高まる中釧路湿原は 国立公園に指定され開発に制限がかけられたのです。 ♪~ここは 日本各地からやって来た入植者たちが礎を築いた開拓の村でもあります。 南部に釧路湿原を抱えその北に牧草地が広がっています。 満州 現在の中国東北部で軍隊生活を送り復員後開拓に応募した梶原春雄さん。 入植者たちは湿原を 谷地と呼びました。 昭和30年代農家の所得が伸び悩む中都市や工業地帯は高度経済成長に沸いていました。

やめた農家の土地を 別の農家が吸収し拡大していく事は規模拡大を目指す国や自治体の方針とも合致したものでした。 北海道は開拓農家を経営状態に応じてAからFまでランク分けするようになります。 そして 鶴居村でも長年にわたって 開墾を阻み続けてきた釧路湿原を牧草地として開発する計画が発表されます。 釧路湿原を含めた農地開発の大方針を地元で 開拓パイロット事業開パと呼ばれる農地開発。 搾った牛乳を自動的に集めるパイプライン開パによって生まれる牧草地に期待して村中の農家は 競うように先行投資を行っていきました。