新政府の中心メンバーとなった大久保は今度は 武士が支配する世をいかに終わらせるかという難題に挑まなければならなかったのです。 一方 大久保の新政府はといえば予算も乏しく軍隊もないありさま。 さあ今日も 前回に引き続いて大久保利通の知恵既得権に どう立ち向かっていくかというところを見ていきたいと思うのですがその象徴が こちら。 大久保はこの 西郷という士族のカリスマに当時 明治新政府の中には新政府を認めず鎖国を続ける朝鮮に対して強硬な態度で臨もうとする動きがありました。
大久保は 本格的にそうした士族たちの解体に着手します。 明治6年11月大久保は 内政全般を統括する…内務省は 治安維持に当たる警察力を握っていました。 大久保は 自ら陣頭指揮に立ち…明治9年に 相次いで起きた熊本 福岡 山口の反乱でもそして 明治10年2月 ついに大久保の出身地 鹿児島でも「西郷を倒すのは 忍びない。 しかし 不平士族への弾圧は大久保の命をも奪う事になりました。 士族の恨みを 一身に受けて散った大久保利通。