描くのは自分が使っている掃除道具。 ガタロさんは誰も注目しない掃除道具を自分の仲間 分身と感じている。 清掃員 そして画家として生きてきたガタロさんの半年間を見つめた。 広島市の中心部原爆爆心地近くに建つ基町高層アパート。 ガタロさんが使う掃除道具。 掃除道具を運ぶのは ガタロさんが「大五郎」と名付けた愛車。 ガタロさんを助けてくれたのは商店街の人たちだった。 商店街の東側の入り口に掃除道具をしまう部屋がある。
清掃員の仕事を始めた 30代の頃ガタロさんは トイレを汚して使う人たちに 怒りをぶつけていた。 お昼前 仕事が終わるとガタロさんは毎日 川に向かう。 自分も 清掃員として絵描きとしてこの ふるさとで暮らしていこうと決めた時「ガタロ」と名乗るようになった。 ガタロさんは 清掃の仕事を始めて7年後 40歳で結婚した。 2人が出会った頃ガタロさんの月給は 12万円。 自分の収入だけで養う事は難しく悦子さんのために結婚を諦めようとした。 クスノキは 切り倒される事なく同じ場所に立ち続け被爆の記憶の象徴となった。
ガタロさんは 基町の商店街で仕事を終えると毎日 原爆ドームに通った。 広島で生まれて 広島で育って子供の頃からこの原爆ドームの事はそういうような事も含めて原爆ドームの前にとにかく 立ち続けて真っ正面から向き合ういう事が大事だと思うたですよ。 広島に原爆が落とされて67年目の日にこれは… これらは トイレの芯。 父親の事を思いガタロさんは オブジェを持って原爆ドームに向かった。 声をかけたのはガタロさんが働き始めた頃の商店会の世話役 新田孝志さん。