ガタロさんは誰も注目しない掃除道具を自分の仲間 分身と感じている。 清掃員 そして画家として生きてきたガタロさんの半年間を見つめた。 広島市の中心部原爆爆心地近くに建つ基町高層アパート。 ガタロさんが使う掃除道具。 水引きの道具は 5年前に商店街から お古をもらった。 掃除道具を運ぶのは ガタロさんが「大五郎」と名付けた愛車。 ガタロさんを助けてくれたのは商店街の人たちだった。 ガタロさんに腰の痛みが出ると道具を譲ってくれた。 お礼にガタロさんは 絵をプレゼントした。
最初はね 紙も コピー用紙に描きよったんだけど一日の仕事を終えて 疲れ果てここに座った時目の前にあった一番 身近なものだった。 まじまじと掃除道具を見てしまうんよね。 清掃員の仕事を始めた 30代の頃ガタロさんは トイレを汚して使う人たちに 怒りをぶつけていた。 しかし 掃除道具たちを見つめ絵に描いていくうちに最初は 腰が痛くてね。 お昼前 仕事が終わるとガタロさんは毎日 川に向かう。 ガタロさんは 清掃の仕事を始めて7年後 40歳で結婚した。
基町ショッピングセンターに勤めるようになってから描いたと思うんです。 ガタロさんは 基町の商店街で仕事を終えると毎日 原爆ドームに通った。 商店街のアトリエで作った オブジェ。 赤い球体の回りに 日本の原子力発電所と同じ数だけ煙突のような突起物をつけた。 清掃員になって 30年基町の人々に支えられまた 夏を迎えた。 声をかけたのはガタロさんが働き始めた頃の商店会の世話役 新田孝志さん。 長年やってきた 呉服店を3年前に畳み今は ボランティアで登校する子供たちを見守っている。