ジュノー~広島で救護したスイス人医師

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終戦当時 赤十字国際委員会の駐日代表として原爆の被害に苦しむ広島に入る最初の外国人医師となります。 ♪~エチオピアへ 赤十字からの派遣要請か。 私は 赤十字国際委員会の派遣の任に就く事となった。 この先 どんな苦難の旅が待ち受けているかその時まで 知る由もなかったジュネーブに本部を構える赤十字国際委員会。

でも赤十字の野戦病院みたいだよ。 本当?おじさん 本当にみんなを元気にできるの?ああ。 ドクター・ジュノー?このロープを見てごらん。 赤十字に救援物資を頼まなくては。 戦争中なんだ ここ。 でも 赤十字の病院があるからとりあえず安全だよ。 戦争中でも 赤十字の施設には攻撃しちゃいけないって世界のきまりだって。 まさか…!この第二次エチオピア戦争において人類史上初の無差別爆撃が行われたのだうぉ~!うっ… うう…。

共和派と フランコ派が双方の捕虜を交換するまでね。 だが 我らが捕虜解放に応じても愚かな フランコ派が応じるとは限らない。 そうだ! そんなバカげた交渉に応じるわけない!我々 共和派をバカにするな!既に フランコ派からは130人の捕虜解放に応じると約束を得ています。 いくら裏切られ理解を得られなくてもとにかく走り続けなくてはならない私は 赤十字国際委員会の国際救援要員としてヨーローッパ各地を飛び回る事となった。

こうして ジュネーブの赤十字が仲介役となって捕虜と家族の間でカードをやり取りできる全ヨーロッパにわたる通信システム赤十字通信が確立されたあぁ…。 東京を目指して陸路を行く間も各地にある日本軍の捕虜収容所をできる限り訪問。 アメリカ軍により 世界で初めての原子爆弾が 広島に投下された。 2つめの原子爆弾が 長崎に投下された その同じ日 長い道のりを経て私は日本に到着しただが 私たちの闘いはまだ続いていた「広島は 恐るべき惨状にある。

広島に運ばれた大量の消毒薬や包帯は大きな治療効果を発揮した殊に ペニシリンや乾燥血漿は当時の日本に初めて使われ原爆投下から4か月後日本を去る その数日前。 赤十字国際委員会 駐日首席代表の任を終えた ドクター・ジュノーはジュネーブに戻り 医師としての活動に復帰しました。