日本の話芸 講談「黒田武士」

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博多 黒田52万石福岡藩の藩祖がこの官兵衛でございまして黒田官兵衛孝高 号して 如水と名乗られる方でございます。 1年後に 秀吉とそれから 黒田の家来たちが助けに来ましたけれどもこの 助けに来た家来の中に母里太兵衛という人物がございました。 で この時に 官兵衛は毛利攻めの最中でございまして秀吉の帷幄に加わっておりました。 さぁ 先程 この名前を覚えていて下さいと言いました母里太兵衛という名前ですね実は 黒田の家来には二十四騎とか 八騎とかいう勇士 豪傑がたくさん 居たんです。

「黒田甲斐守長政の家臣母里太兵衛と申す。 「お言葉にはござりまするがこの母里太兵衛 酒は不調法。 ことに今日は 黒田家の使者として重き役目を仰せつかり罷りこしましたる者お盃の儀は ひらに ご容赦の程願わしゅう存じまする」と丁寧に 断ったんですけれども正則公 さっきから お酒を一気飲みしていらっしゃいまして「不調法」という言葉を聞いた途端に頭に カチ~ンと きてしまいました。 じゃがな 太兵衛無理と承知で戦ってこそさぁ 武士にとってこの「卑怯者」という言葉ぐらい頭にくる言葉はございません。

2杯目もなみなみと 注がれた大盃見つめておりました太兵衛口をつけますと グ~ッ。 ♪「ツトツンツン ツトツン」♪「槍は 錆びても名は 錆びねで ツトツン」「エッ」。 それでは 御前 お約束どおりご褒美の品を頂戴仕ります」。 御前先程 何と仰せられました?『無理と承知で戦ってこそ 真の勇士豪傑』と申されましたな?その時の お約束に『何なりと 望む品 あらば 申せ。