先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)ピンチを切り抜けろ!「直江兼続」(後編)

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先週本郷先生から直江兼続の知恵を味わって頂こうという事でお勧め頂きましたけれども今週も 兼続の知恵をみんなで たっぷりとね味わっていこうと思うんですよね。 関ヶ原の戦い以前会津120万石を誇っていた 上杉家。 当然 家臣たちをリストラと思いきや兼続は 誰もが あっと驚く方針を宣言します。 兼続は 家臣たちの俸給を3分の1としたうえで日本で 一番 北に位置する旭山動物園。 しかし この動物園90年代半ばには閉鎖の危機にありました。 一人の職員もリストラをせず動物園の窮地を救った 小菅さん。

兼続は まず最上川の治水事業に着手します。 兼続は この流域に大規模な堤防を築く事を計画します。 でも 6,000人の家臣がいてそれで 一人も僕は よく口癖のように言ってたのは「俺がいなかったら この動物園潰れるよねという気持ちで仕事せい」という事よく言ってました。 これは?題して「兼続御膳」というふうにタイトルを付けてみたんですけどね。 兼続っていう人は食事だけではなくて生活全般が質素だったんです。

兼続が 家臣たちのためにどのように食料を確保したか?米沢では 今でも 兼続の努力の跡を見る事ができます。 兼続は まさに一石二鳥のウコギに目をつけ自らの指導の下に植えさせたのでした。 なぜ 兼続は植物に詳しかったのでしょうか?実は兼続 若い頃から武将にもかかわらず趣味で 農業や植物の研究にいそしんでいました。 篠原さん 今 ご覧頂いたように兼続は 「兼続公」というふうに言われてましたよね。