7年ごとの記録「28歳になりました」(後編)

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この番組シリーズでは その後の彼らを 7年ごとに取材し企業の海外進出が進む中毎年1万人を超える子供たちが帰国子女として日本に戻ってきています。 過去の発言がいろいろあるのでマンガをどっさり読む事とかテレビをいっぱい見る事がう~ん… 運動会で自分の組が優勝しないともっと ハイレベルな…語学のレベルが 当然ですけどあったのが印象的でした。

今 振り返って自分の行動はどういうふうに思う?大学中退後 光克さんはいくつもの仕事を転々としました。 1個 印刷して何円 何十銭の世界なんでそれを 一日何千個も何万個も刷ってようやく このお金になるのかって考えたらすごい大変やなと思います。 21年前 東京の下町には中国残留孤児の家族が大勢 住んでいました。 良男さんの母方のおばあさんも中国残留孤児。

少年犯罪の増加を止める事が尚紀さんは法科大学院の受験に失敗。 尚紀さんの店は地道に販売実績を重ね本社のキャンペーン商品の売り上げが全国で1位になった事もあります。 一番大きかったのはある学生アルバイトがいて一番大切なものは何?優しい心。

納沙布岬のある根室市。 領土問題に進展はなく基幹産業の漁業も衰退。 主なお客さんは北海道各地から来る工事関係者。 そして 部屋の名前も北方領土の島々です。 早苗さんの おじいさんは北方領土の色丹島で生まれ育ちました。 7歳の頃 早苗さんはおじいさんに連れられよく 北方領土が見える納沙布岬を訪れていました。 中学時代 早苗さんのクラスのは祖父母が北方領土の出身。 在日アメリカ軍専用施設の7割以上が集中しています。 幽霊だけ!幽霊だけ?恵理は 幽霊と戦争。 幽霊と戦争 とっても怖い。

7年前の この取材の直後麻希さんは 離婚を決断します。 紗彩ちゃんを見ていて 例えばこういう時に父親がいればいいなって思う事はある?あぁ なんかお父さん いないって…自分が分からない気持ちなので本人 どう思ってるんだろうってちょっと 思う事は最近あります。 あんまり深く聞くとこれで もし 「さみしい」とかって言われてしまったらその さみしさは 自分では絶対埋められないと思ってるので14歳の時 麻希さんは毎日 和太鼓の練習に打ち込んでいました。