新世代が解く!ニッポンのジレンマ「救国の大学論」

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すごく日本の大学だと主体的にやらないと あまり意味がなくなってしまうけれどもアメリカの大学院の場合はかなり主体的にやるのが当たり前というか そういった同僚で 同級生だったりだとか教授も そういった学習環境を作りますので雰囲気が結構 違ったなと感じますね。

言っちゃっていいんですか?大丈夫ですか?感じるんですか?高校を卒業して僕が今 行ってる早稲田大学に入った時にすごい どんな授業がすばらしい授業が待ってるんだろうと思ってどんな知的好奇心をいろんな仲間たちをそこで 声かけられるしすごいバックアップしてくれる教授の人たちとかも声かけられるし いろんなパーティーを組むのに すごい最適な場所だしあと 何かと大学生が頑張ってるというと非常に この社会の視線とかも集めやすいのでいろんな協力者も得やすかったので社会問題とか解決に挑戦するという舞台としては最高の舞台だと思

一つ面白かったのがやっぱり多様性というキーワードが入ってくるんですけれどもアメリカのアドミッションオフィス 入学審査官に聞いたんですね「どのように 人を入学させてるんですか?」って。

僕は アメリカとの対立軸は持ってないんですけどバングラデシュにちょっと住んでたのでバングラデシュの大学と 日本の大学は比較できるんですけどそうすると多分 日本の大学の方が全然 やっぱ進んでいてバングラデシュだとまだ学生運動が真っ盛りでみんな政治運動に没頭してデモとか たくさんして大学が閉まったりもするというので それに比べると日本の大学は とっても自由だしキャンパスの中の活動とかもいろいろできるし とっても魅力的な場所だと思います。

それの原体験は自分自身が高校3年生の時にある予備校のビデオ授業を受けていてそのビデオ授業の方が生の高校の先生より分かりやすくて面白かったんです。 「身長 高くするためには どういう栄養素をとった方がいい」とか「筋肉つけるためには どういう負荷で どれぐらいの回数で筋肉トレーニングするといいんだろうね」という事を自分の半歩先を照らしながら一緒に検索をして自分自身も実践していったら面白いぐらい 身体能力というか身長も高くなっていったし筋肉がついていって…。

教育に関してですか? でも 僕大学はAO入試で入ったので大学で 周りに すごい変な人がたくさんいたんです。 教育の最高学府 大学。 宗教 国家とも無縁に「世界の知」を求める者が自由に集まる場として大学は始まったのだ。 欧米とは異なり 大学は まさに国家のための官僚養成機関として国によって造られた。 まさに 自分探しの場と言えなくもない 現代の大学。 現役大学生の税所が語りだす。

今 圧倒的に足りてないのは僕の中では 大学というのはある意味 その人のポテンシャルを最大限まで引きのばしてあげる一つのファンクションがあると思っていてその中で 圧倒的に足りてないのが一人一人に対する人間の自己尊厳が すごい弱いなと思ってます。

教育というものが 画面越しのDVDとか映像で賄えるんだったら大学なんてそもそも 教育の現場なんて要らないという話にもなっちゃうと思うんですがその辺り どうですかね?よく 今の DVD授業を広める活動をしているとじゃあ 先生の雇用がなくなるじゃないかとか先生の役割が どうなるのかという話になるんですが一回 バングラデシュの村の高校生たちにその国で 一番と呼ばれる先生たちの DVD授業を見せた事があったんですが半月くらいでみんな 飽きちゃって誰も 教室に来なくなった事があって。

例えば 「機械学習」と言われる新しい分野のトピックだったりとか経済学とか 僕が大学の時勉強しなかったような勉強をひたすら見てた 時期があってもう要らねえと 大学は。 ここに 次のイノベーションが僕は存在すると思っていて次の教育は まさに やる気を最大化するための教育制度とかマテリアルってどういうものなのかなとなっていくと思ってますね。 今の日本だと 大学進学率がここまで高まってるとなかなか その意欲とかがないまま大学生になっちゃった人がすごく多いと思うんですね。

ああいうふうな ロールモデルがどんどん出てくるともっと ああいうふうになりたいなとかって思うのがどんどん なると思うんでなので 大学は もっと…具体的なんですけどああいうのを 単位に認めるとかどんどん していったら多分 もっと俺たちが 自由にやってそういうのを ちょっと認めてあげるよって言われたらもっともっと 頑張れるし僕の活動も 是非早稲田大学に認めてもらって単位が欲しいです。

大学3年生の 就職活動で考えさせるんではなくて例えば アメリカの大学であれば必ずどういった体験をしてきたんですかとか「パーソナル ステートメント」というのを書かせるわけです 入学時点で。

私なんて 教育って 何のためにあるのだろうかというのを教育に携わってるのでいろいろ考えさせられるとやはり それは高等教育のみならず初等教育から そうなんですけど10年後 15年後の予測不能な世の中を生き抜いていく回答になってしまってるのかなと思うところもありますよね。 思うのが アイデアは あるんだけどもそれを実現する力が今の教育機関に圧倒的に足りてないと僕は 感じる事がすごく多くてですね。

何よりも私が思ってるのは 大学にどうしてほしいかという以前に学生自身が どうしたいのかというのを我々 学生自身が考える努力もしていかなきゃいけないなと思いますね。