港湾内の海水は1から4号機の取水路北側で漁業に深刻な打撃を与え 人々を不安に陥れる 海の放射能汚染。 日本各地の港で放射性物質に汚染されたマグロが相次いで 水揚げされたのです。 しかし 核実験を行ったアメリカは放射性物質は水で薄まるため無害になると主張します。 2か月にわたる調査の結果海の汚染は容易に薄まらず放射性物質がマグロの体内に蓄積される事が初めて明らかになりました。 日本中が放射能汚染に揺れていた時水爆実験を行ったアメリカは 実験の影響は少ないと主張していました。
科学者は 研究室に閉じ籠もる事なく 社会に関わる事が大事だと度々 聞かされてきたといいます。 科学と社会との関わりというか科学者の社会的責任というかその点は 最初から強調されておられました。 そして顧問団は 俊鶻丸に乗り込む若手科学者 22人を選びました。 実験動物だって話は結構 原爆実験をネバダなんかやってる時に 実験動物使って やってますからね。 このごうごうたる全日本の不安とその科学的真相究明への要望を担って物理 気象 海洋など各方面の専門科学者を乗せ東京・芝浦を出発した」。
ビキニ環礁から遠く離れた場所でしかも実験から2か月以上がたって海水の汚染が キャッチされた事は鉛の入った雨ガッパを着ろと。 俊鶻丸は 海水だけでなくマグロを捕獲しその汚染を詳しく調べました。 海洋汚染というのは こうやって測るんだよ という事を俊鶻丸が帰国した7月。 深刻な汚染マグロの問題が続く中東京で 日米の科学者たちが会議を開きました。 日本側は三宅泰雄さんをはじめとする俊鶻丸顧問団のメンバーが中心です。
当時 国立の水産研究所でマグロの生態について研究し俊鶻丸の調査にも注目していた…やめるべきでなかったと思います。 気象研究所の三宅泰雄さんは俊鶻丸の調査の後も核実験への警告を発し続けていました。 海外の研究者とも協力しながら海の放射能汚染の調査を続けていたのです。 科学的なデータの蓄積と国際世論の高まりを受けアメリカ イギリス ソビエトの三か国は部分的核実験禁止条約を締結。 放射性物質の環境への影響を研究する専門機関環境放射能研究所を作る事を求めたのです。