藁は いちどきに使うんじゃなくていろんなものに使いますからこれは 藁塚「にお」とも 「わらぼっち」ともいろいろ 言い方は地域によって違うし 形も違いますけれども藁の保存方法なんですね。 これは 曼珠沙華というのは皆さん ご存じのように非常に圧倒的に 非常に強引にこっちに迫ってくる花なんです。 土間にそれがするっていうのはそう不思議ではないんだけれども仏間までっていうところがちょっと…ぐっと来ましたけど。
むしろとか草履ばっかりではなくてね人形にも 馬にもなってやろうと今年藁が張り切ってる訳ですよ。 馬にも 人形にも草履にもなるけれども藁っていうのは神具神様のお道具ですよねそういうものにも使いますという事なの。 長谷川かな女は明治20年東京の日本橋に生まれました。 日本橋は 商業と金融の中心地。 江戸以来の粋な町人文化が根づいていました。 まず 第三席は どちらでしょう?これは たくさんのご投句の中で神具を扱ってる句かなり ございましたけど神様のお供えする敷物とかいろいろ ありますよね。
今 コンバインで農作業致しますともう 田んぼの中で藁は 8~10cmぐらいに刻んですき込まれてしまいますから藁を見る事がないんです。 それで 私の年代ですとある友人なんかは「藁布団に寝たよ」って言います。 「案外 藁布団って温かかったよ」って言うんですよ。 おじいちゃんと一緒に 藁布団で寝たっていう子がいました。 さあその押野さんですけれども押野さんに「宇多さんと聞く」という事で宇多さんは最近 押野さんの俳句に変化があったとおっしゃってるんですね。
一人の俳人の人生っていうのがその句の背後にあるからこの句が非常に印象強くなるんでしょうね。 また それは それで自分の間違いない人生というか生活ですからね。 そういう意味では俳句と人生というのは…。 一人の人生だけれどもいろんな人の人生と重なる部分があったりしてそれで 俳句っていうのは詠まれてきたんじゃないかなと思ってますので。 自分もまた 自分の人生があるから。 自分の俳句と人生っていうのはやっぱり無縁ではないと思っています。