芭蕉自身も多分 そう考えていて人生というのは突き詰めて言うと 別れであると思ってたと思うんですよ。 今回のスタジオは江東区芭蕉記念館。 芭蕉ゆかりの品が展示され句会が開かれるなどそして 長谷川先生と一緒に旅を追体験して下さったのは女優の内山理名さんです。 江戸時代 150日ほど かけて東北地方 2,400kmほどを巡った芭蕉。 要するに 宇宙というのは太陽が巡り 月が巡るように全て 刻々と変化しているように見えるけど実は 何も変わらないんだという芭蕉の宇宙観ですね。
フィクションという事はなぜ分かるんですか?曾良の日記というのが別に「随行日記」があっていわば 人間界で最も苦しんでる人たちであると。 倶利伽羅峠を越えて一路 金沢へと向かう芭蕉たち。 芭蕉の方は ちょっと引いて別れるという事自体よりもそれにある ちっちゃな作業笠から名前を消すっていう静かで ちっちゃな作業に万感を入れてくみたいな。 曾良がいなくなって 芭蕉はこれから どうするんですか?曾良がいなくなって 実際は金沢から北枝という人が ついてきててこの時も 北枝はいるわけです曾良と別れた時も。
芭蕉はその「かるみ」という考え方この「おくのほそ道」の最後の方でどうも その境地に至ってだんだん 形になってきたらしいんですが弟子の如行の家に集まります。 一日中親しい人が訪ねてきてくれます。 最後が この大垣の人たちと別れる時の句が…この 最初と最後の句を並べてみると芭蕉が この「おくのほそ道」で得たものが はっきり分かる。 ゆったりした平仮名の部分がある。 ついでに その「ふたみ」という言葉が 伊勢の 有名な二見浦。