中央アルプスと南アルプスに挟まれた信州 伊那谷。 じいさんは日替わりで お手伝い兼仕事のアシスタントを雇っている。 僕なんかも好きな番組やりたいと言うと僕が個人として 好きな番組こういうのがやりたいと言うとじゃあ お前 会社辞めて 勝手にフリーでやればというふうに言われるんですよね。 失敗した人間というのは自由だろう?家族? 家族? ファミリーか?はい。 そんな じいさんが 偶然たどりついたのが伊那谷だった。 この自然に触れて じいさんは「はじめの自分」が 再び躍動し始めた事を実感したんだ。
その言葉に 人々は自らを勝手に重ね合わせじいさんは いつしか現代のセラピストと呼ばれるようになった。 特に 私は求めないとか受け入れるの反対の生き方がしそうな感じな自分なので「求めない」という事の本当の意味が すごく一方 残された家族はたまったもんじゃない。 その時 精神的にボロボロになった母親を 牧史さんが支えた。 それが父親と息子という関係がやっぱり 同じ性を生きるという事の 何というかな一つの宿命ですよね。
ただ 僕は割合と その両方をいつも 人生の中年の頃から以降両方 持ってたの。 こっちは一応 大学教師なんかやったりして世間的な地位があったけどさいざとなればね…。 僕は 今 東京には住みたくないというのが本当の気持ちですね。 「私は この90年の人生でAMさんは ドイツ人の女医さん。 AMは散歩が好きだから1人で散歩するうちにこれを めっけたんだ。 出会った時 2人で深い林を歩きたどりついた観音像。 最初の出会いなんですか?精神的な出会いというかな。
「想像を絶する不安を伴う神経症に悩まされた息子は自分自身を 雁字搦めにする得体の知れない巨大な軛のようなものに怯え 戦き自ら 死を選んだのです」。 「加島さん息子は この汚濁に満ちた余りにも無垢だったのかもしれません。 息子の死後 ずっと そのパソコンに手を触れられなかった姜さん。 ある時思い切ってパソコンを開くとそこに 息子の意外な言葉が残されていた。 その瞬間から 息子の言葉との格闘が始まった。 姜さんは いつしか自分自身の生き方が正しかったのか姜さんは 今年63歳。