秋田の横手という町なんですが群馬県伊勢崎の軍需工場で働く事になりました。 所は 東京 上野駅の三等待合室。 「あの~ 鹿島荘吉さんの お宅はこちらでございましょうか?」。 実は こちらの荘吉さんと夫婦約束をした者でございます。 ご出征なさる時に 荘吉さんが『生還は期し難い。 ところがこの度 新聞を見ましたら荘吉さん 名誉のご戦死をなさいましたそうで。 あ~ ちょうど よかった私ゃ これから 配給物を取りに行く時間ですからね夫婦約束をしたなんて言やぁすぐに 信用しちまうんだから。
これを引き寄せ 半紙を 一枚懐から 紙入れを取りいだして五円札を これを紙へ包みますと その上に「ご仏前へ 山崎 蘭」と書いて香典の山の一番上に載せておきました。 2人は どういう関係かと申しますと 実は この山崎 蘭は物心がついた時にはもう 曲馬団で自分は 道化師ピエロとなった訳でございます。
そばにおりました春日泰造「あっ お蘭 危ねえ 退くんだ」とド~ンと突き飛ばしたもんですからお蘭が タタタタッと向こうへ飛ばされていく。 この場は春日泰造 助かったんですが噛まれた傷が因で ひとつき後に息を引き取ってしまいます。 そう 決心をして 春日泰造の写真に話しかけていたとこういう訳でございます。 毎年夏休みになりますと 河川敷にで 一番 うれしかったのは象とか ライオンの曲芸。 町には 動物園なんてありませんでしたから生の動物を目の前で見るなんというのは檻に入った ライオンが通る。
ああ~ 戦死した荘吉さんも 表彰されるほどの親孝行者だった。 昭和17年の4月の18日アメリカ軍のB25中型爆撃機が6機 飛んで参りまして荒川区尾久の軍需工場を攻撃して9人の死者を出した。 その後 昭和19年の11月の24日B29大型爆撃機が88機 再来を致しますと東京湾上空から B29325機が やって参りましてお蘭も助かった 母親も助かったお蘭たちの家も助かります。 入れ違いにくたびれた軍服 どた靴の男がノッソリと 鹿島の家にやって参ります。