そんな中 萩原は生涯を懸けるモチーフ富士山に出会います。 一番最初 皆さんと一緒にお宅にお邪魔して作品を2つ3つ見せて頂いた時に富士山で 赤い縁がね ピューッと入ってる作品があるんですけどもう 感動でしたね。 あの細い赤い線が 富士山のちょうど日が落ちた後の観察を よくしなさいという事をおっしゃってたんですがよく ものを見るという事は一個の方向ではなくて多方面から観察をしていく。
富士山だけをスケッチするんではなくてその周辺を とても大切にされて自分自身の富士というものを探されていたんではないかなというふうに。 ただ富士を表すだけではなくてその周辺河口湖から見た黄昏どきの富士山。 「二合目快晴」この一枚を見ていても色彩が とても特徴的だと思うんですけどものすごい色の数が重なり合ってところどころやはり色の重なり ハーモニーによってこの単色の ブルー一色の富士山を際立たせると。 「三十六富士」の名作…萩原が この富士山を描いた場所が山梨県 石和にあります。
「三十六富士」の制作を手伝いました。 父母の思い 故郷の富士山という事で自らのルーツをたどるように始まった「三十六富士」。 「三十六富士」には遠くに富士を配した作品がいくつも登場します。 結核で死に直面し母を亡くした萩原にとってこちらが 「父生れし 母あれし亦 吾 生れし甲斐は山国 富士のある国」。