ETV特集「三池を抱きしめる女たち~戦後最大の炭鉱事故から50年〜」

戻る
【スポンサーリンク】

23:51:24▶

この番組のまとめ

50年前 三井三池炭鉱で起こった爆発事故で男たちが一酸化炭素ガスに侵されました。 半世紀もの間いやおうなく 炭鉱事故と向き合ってきた妻たちがいます。 戦後最大の炭鉱事故が起きました。 三池炭鉱は福岡県大牟田市から明治の初めに官営の炭鉱となりその後 三井に払い下げられ1889年 明治22年に三井三池炭鉱となります。 三井炭鉱は優良な石炭を産出する炭鉱で戦後は 復興の原動力として生産に拍車がかかります。 爆発の際 不完全燃焼で大量の一酸化炭素ガスが発生。

ただ当時 医療関係者の間では一酸化炭素中毒は後遺症が残らないというのが通説でした。 その後 40年間一酸化炭素中毒患者を診る事になる 三村医師ですが当時 一酸化炭素中毒の現実は知りませんでした。 だから 僕らが文献なんかを読んで一酸化炭素中毒というのは後遺症は生き残った者に対してはほとんど残らないという イメージがあったわけですけれどもそのイメージとは 全くかけ離れた状態の人たちが非常に いっぱいいるという事を感じたわけですね。 一酸化炭素中毒はこうして起こります。

死者 458人一酸化炭素中毒患者 839人を出した 戦後最悪の炭鉱事故。 書類送検されましたが検察は 証拠不十分として不起訴処分にしました。 3回「般若心経」読まないと事故から 間もなく3年となる1966年10月現場の医師たちが書いた診断書をもとにしていました。 全国を回って一酸化炭素中毒患者と家族の実態を訴えカンパを集めたりもしました。

患者本人への損害賠償は認められたものの一酸化炭素中毒患者の名前を見つけると 大切に切り抜き一人一人の消息を記録し続けてきました。 警察による強制排除が決まり事故から50年 世の中が炭じん爆発事故が起きた事や一酸化炭素中毒に苦しむ患者の存在を忘れていく中で清水さんは仲間と活動を続けてきました。