ETV特集「三池を抱きしめる女たち~戦後最大の炭鉱事故から50年〜」

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この番組のまとめ

一酸化炭素中毒の後遺症です。 50年前 三井三池炭鉱で起こった爆発事故で男たちが一酸化炭素ガスに侵されました。 松尾虹さんの夫も一酸化炭素中毒の後遺症で人格が全く変わり家の中で 暴力を振るうようになったのです。 戦後最大の炭鉱事故が起きました。 三池炭鉱は福岡県大牟田市から熊本県荒尾市一帯に広がる日本最大の炭鉱でした。 爆発の際 不完全燃焼で大量の一酸化炭素ガスが発生。 夫は 最も重い一酸化炭素中毒患者の一人です。

熊本大学医学部の大学院生だった三村孝一さんは事故から 1週間後に現地に入りました。 その後 40年間一酸化炭素中毒患者を診る事になる 三村医師ですがやはり病室の中で じっとしている患者さんたち というのは何を話しているのか 意味不明の言葉を発している患者さん。 そういうように多種多様な精神症状が出てるほとんど残らないという イメージがあったわけですけれどもそのイメージとは 全くかけ離れた状態の人たちが非常に いっぱいいるという事を感じたわけですね。 一酸化炭素中毒はこうして起こります。

事故から 間もなく3年となる1966年10月国は 一酸化炭素中毒患者の9割に近い 738人に診断書になるという予測はしてなかったわけですね。 その中で 重篤な脳の障害を持っている人たちというのはいわゆる 自覚症状 自分が 今こういう状態であるという事を専門医でないから精神症状とか そういうものはほとんど捉えられてなかったわけで…このままでは生活が駄目になってしまうと家族の会をつくります。 全国を回って一酸化炭素中毒患者と家族の実態を訴えカンパを集めたりもしました。

ほんで女だったから 患者を抱えて子供を支えて松尾さんたちが起こした裁判はその後の 患者や遺族による大規模な訴訟へとつながっていきました。 松尾さんたちの裁判の過程で三井鉱山の責任は認められました。 患者本人への損害賠償は認められたものの請求額の以下でした。 これが 昭和39… 40年に結成家族の会を結成した時の名簿です。 唯一 この名簿が 私のCO問題を語る証拠だろうと思うからこの50年間 最重症の患者である夫の病院に通い続けています。

だから私は 病院から帰る時にいつも 「お父さんかつて 839人いた一酸化炭素中毒患者は現在 確認できるのは70人ほどです。 本岡医師の父親は40年にわたって一酸化炭素中毒患者の診察を続け7年前に亡くなった三村孝一さんです。 夫の宏也さんが福岡市の病院に入院したままの…ハハハハ…。 三穂さんは 生まれた時から父親に会えるのはふだんは家にいないですから時折 帰ってくると元気な時の父親像っていうのが私にはなかったから最初からそういう存在というかですね。 一酸化炭素中毒患者と その家族は何を背負わされてきたのか。