ETV特集「忘れられた引揚者~終戦直後・北朝鮮の日本人〜」

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この番組のまとめ

日本人の悲劇的な状況を北朝鮮を占領したソビエト軍はなぜ放置したのか。 およそ 70年前 自力脱出に挑み忘れられた日本人引き揚げ者を巡る謎を 解き明かします。 北朝鮮が 日本人遺族を受け入れる姿勢に転じたのは去年 キム・ジョンウン第1書記が権力を世襲した直後の事でした。 北朝鮮にいた日本人が窮地に追い込まれていたころ日本政府は その保護に積極的には動きませんでした。 加藤さんは 敗戦に伴う大日本帝国の崩壊で海外に残された日本人がどのような運命をたどったのかを研究してきました。

今村さん一家も日本人の民家に収容され衛生状態の悪さと 食糧不足による飢えに苦しみました。 なぜ ソビエトは日本人を北朝鮮にとどめたのか。 韓国人歴史学者の…イさんは 学問的に長年 放置されていた北朝鮮からの日本人引き揚げの問題に挑みさまざまな成果を上げてきました。 南朝鮮に駐留していたアメリカ陸軍の情報部が脱出してきた日本人に行った聞き取り調査の報告。 「日本人も 朝鮮人も 貧しいのはソビエト人が 持っていけるものは全て取るからである」。

なぜソビエトは日本人を放置したまま北朝鮮に閉じ込めたのか。 これは もう 明らかにアメリカと性格が違っていますからソ連自体が 恐らく彼らは 実際にこういう状況に直面した時にしかし民間人についての取り決めは日本人の影響力を排除する要するに 日本人を全部帰してしまうというこれが 戦後のアジア政策にとって非常に重要だという意識があった。 つまり 日本の中央政府が負うべきだった責任がソビエト軍は なぜ 1年4か月も引き揚げを行わず日本人を 苦難の自力脱出へと追い込んだのか。

それは 自分たちがプサンなどの港から日本人を船で帰国させるのでしかし ソビエトは応じず極寒の北朝鮮で 日本人の死者が増えていった事がコピーが禁じられている機密文書を書き写したノートです。 米ソ会談の直後 昭和21年2月27日ソビエトの外務大臣 モロトフは…3月になって GHQを中心としたアメリカ軍の送還計画というかその中で 北にいる日本人の扱いというのに対してソ連側は なるべく責任を負いたくないという。

横田さんたちが 北朝鮮から持ち帰った荷物の中にソビエト軍から手に入れた許可証もありました。 北朝鮮側に留め置かれた技術者や刑務所に入れられた人などの留守家族の声でした。 昭和31年政府は日本赤十字社を通じて所在が確実な未帰還者 およそ50人の名簿を 北朝鮮側に渡し朝鮮戦争の激しい戦火に巻き込まれて死亡したり行方不明になったりした者。 しかし 北朝鮮側から それ以上の回答はありませんでした。 母親のヒサ子さんは北朝鮮にいる節子さんと手紙の やり取りを始めそれは 300通以上になりました。