今回は 1980年代 テクノポップで一世を風靡した「イエロー・マジック・オーケストラ」のリーダー細野晴臣さんです。
22歳の時 ロックバンド「エイプリル・フール」でプロデビュー。 ハードなサウンドのオリジナル曲中心のアルバムを発表しました。 今度は エキゾチックで無国籍なサウンドを追求。 ♪「But the treat of the trade」フフフフ… いいですね~。 「テクノ」「ワールドミュージック」「アンビエント」「アメリカンルーツミュージック」と。 要するに ノンポリシーって言って音楽が ホントに好きだったんで音楽を通して アメリカの その動きを誰よりも早く感知してたんですね。
どうして そういう挑戦ができると考えたんですか?日本語でも できるというかやってみたいって事ですか?そうですね 僕とか大瀧詠一君はホントに音楽人間なんでだから「弁慶が なぎなたを」っていうのを「弁慶がな ぎなたを」ってなっちゃうとこも面白かった。 ハワイに住んでて そこでトロピカルとアジアが混じったようなあるいはジャングルが混じったような音楽を作ってて。
決してバラバラじゃなくて1つの大きな流れの中に「ワールドミュージック」とか「アンビエント」とかそういうものが混在しています。 やっぱり経済と音楽って密接ですから後で考えると経済のバックアップがあったのかなとか思うんですよ。 20世紀の音楽… 音楽だけじゃないですね 映画 音楽 文化。 例えば 細野さんの音楽をどう受け継ごうとしているのか…。 その高い音楽性と多様な楽曲で支持を集めています。 その後 「くるり」主催の音楽イベントに細野さんが参加し共演。
だんだん音楽聴くようになってきて。 そういう体験っていうのは次に作る音楽には やっぱり関係してくるんですか?してくると思いますね。 細野さんは「ぼくは ぼくのまま」おそらく そうやって音楽で生きてこられたと思うんですが「ぎこちなく」かな~って。 細野さん 趣味っていうのは何か あるんですか?音楽以外で言えば…。 そうですか? 映画を見たりとかお芝居とか?映画を それを趣味って言えるなら映画は趣味ですね。 山梨県 甲府市の乙黒孝平さんから頂いています。