中央アルプスと南アルプスに挟まれた信州 伊那谷。 じいさんは日替わりで お手伝い兼仕事のアシスタントを雇っている。 じいさんが なぜ この質問に引っ掛かるかって?それは これまでの人生で 家族と大きな確執があったからなんだ。 もともと じいさんは横浜国大の英文学の教授だった。 しかし その裏側では家庭や社会に閉じ込められたような子供の頃 商人だった親は教育には無頓着で家族と 大学教授の職を捨て社会から 逃げ出したんだ。 自由への願望が 最優先だって?じいさん 勝手なもんだ。
その言葉に 人々は自らを勝手に重ね合わせ「求めない」という事の本当の意味が すごく一方 残された家族はたまったもんじゃない。 その時 精神的にボロボロになった母親を 牧史さんが支えた。 それが父親と息子という関係がやっぱり 同じ性を生きるという事の 何というかな一つの宿命ですよね。 僕は60歳を過ぎたばかりですけど最近 何かこう 空を見たり自然に触れたりする時に何かしら 今までとは違った自分が気持ちの上で出てきて何か 生そのものの充実みたいなものを求めたいというか。
「想像を絶する不安を伴う神経症に悩まされた息子は余りにも無垢だったのかもしれません。 小説は 「息子の死」がテーマだ。 主人公の大学生にはあえて 息子の名前を付けた。 息子の死後 ずっと そのパソコンに手を触れられなかった姜さん。 ある時思い切ってパソコンを開くとそこに 息子の意外な言葉が残されていた。 それまで気付かなかった息子の声が聞こえた気がしてその場に立ちすくんだという姜さん。 その瞬間から 息子の言葉との格闘が始まった。
いろり端に座り込んで自分と向き合ううち不意に AMさんの声が聞こえてきたというんだ。 僕自身の本性は もっと活動し何か クリエートし やりひらめいたんだよ。 僕の立ち直りの 最終ラウンドに自分が来たような気がするよ。 僕も 加島さんが今 おっしゃった事を言いたかったんですけど やっぱり最初は 亡くなってからなんとか 表面的には活動しているように見えたと。 それがなかったら自分が多分こうやって人前で話ができてなかったかもしれません。