そして 3度目の正月日本を変える新世代討論。 作家・司馬太郎が昭和の時代に世に問うたこの言葉を1970年以降生まれの若き知性たちはどう更新するのだろうか?日本の光と影が交錯した年。 青井アナウンサーと同期のアナウンサーの橋本奈穂子でございます。
「中国化する日本」という刺激的なタイトルの著書で現代の閉塞感を江戸時代から変わらない今 司馬太郎思い浮かんだ人って何人いらっしゃいます?あっ そうなんだって思いました。 それでは お隣ですね建築家ソーシャルアーキテクト藤村龍至さんです。 建築・設計にとどまらず全国的に老朽化する公共施設を再整備するプロジェクトを立ち上げる。 それは 民主主義の練習に他ならないと説く 社会派建築家。
クラウドファンディングサービスの立ち上げや学生・社会人を問わず仲間が自由に集い新たなサービスを発想するネットワーク作りなど次世代ビジネスモデルを 次々に仕掛けるネット炎上率NO.1起業家。 そこで カタチ作っていったものが今後 分かんないけど世界に対して アピールできるようなものになるのかもしれないしコンサルタント会社勤務を経てオバマ大統領の選挙キャンペーンに参加。
個人 それぞれの日常があって日常を超える事というのは例えば 私の場合だと政治とか国とかって 全く考える事ってないんですけど親が手術が必要な病気になった時にそういう個人個人の半径5mが重なる事によって融合して それが新しい形になっていくというのが「ニッポンのカタチ」を巡って早くも ジレンマが顕在化したか。
じゃあ 果たして自分が世の中とか社会に役に立てる事は何だろうというのを 改めて考えたいけどその知識がないし 経験がないしじゃあ 大学に行ったらそれが分かるのかなという事で注目を集めた著書「ナショナリズムの復権」で手垢にまみれたナショナリズムの意味を根本から問い直した。
恐らく その互譲互助の精神…「互譲互助」というと硬いし発音しにくいですから要は お互いさまの精神ですよね。 要するに 半径5mの範囲と伊藤さんが おっしゃいましたがむしろ国という存在が出てこなくても自分たちの身の回りの世界の間だけで お互い助け合ってなんとかやっていけるような状態が日本人にとって理想的だからこそ国って出てくると税金 取ってるだけじゃんとかそういう問題になる。 互譲互助の精神が生まれてきたというのは安定的な社会とか共同体というのが 長くあったという事がポイントだと思うんですね。
「Change.org」という署名サイトを運営してる中で国に対する訴えとか 国民の声が集まるキャンペーンを見てきてすごく感じるのが特にそのコミュニティ−が欲しくなかったものも たててしまうとか。 直近の事例で言えば東北の防潮堤の問題とかで気仙沼の方が Changeを使ってキャンペーンを発信して私たちの町は海が見えないと気仙沼じゃなくなるんだから防潮堤は見直して下さい というキャンペーンを貼ってるんですね。
「国をつくってる」 という言葉もありましたけど どうですか?さっき 「国から もらってるもの何だっけ?」みたいな話が議論が あったと思うんですけど結構 言うんですけど 日本人ってめちゃくちゃ恵まれてて私とかみたいに起業する事とかって すごい自由にできて特に今ってウェブ系の話になっちゃってAWSというAmazonのサービスとか使えばすぐに サーバー立てられるしそこで 簡単に サービスを無料のオープンソースを使って作ってオンラインに乗っけて 世界中の人に発信して使ってもらう みたいな。
そういう時代が非常に長くて一方でそれだけ インターネットメディアみたいなものが 一気に発展したせいで天下国家を論じるといった時に日本をスキップして グローバルな世界をその間の コミュニケーションギャップをどうつないでいくのかという事に なるんじゃないかなと思うんですけれどもね。
今のお話 非常に興味深くてシェアハウスっていうのは新しい現象と言われますけれども江戸時代の長屋って元祖シェアハウスですよね。 それこそ 江戸時代であれば農家を継げなかった人が都市に出てきてそうすると 貧乏だからシェアハウスにしか住めなかったと。 ところが 今や逆に都市で うまくいかなかったら農村に シェアハウスを造って住んだ方が地域振興になるかもしれないと巨大な逆転現象が起きているわけですよね。
外交っていうと 急にデカい問題に見えるんだけど実は 日々の傷つきやすさとか僕 日本という国は比較的 傷つきやすい国だと思ってるんだけど僕には 国家ってそういうイメージではなくてむしろ 自分と極めて似た日々の嫌なやつとのつきあいの連続みたいなそういうものなのかなと思うんですけどね。 ネットが家族の形まで変えるのだとすればネットを媒介とした コミュニティーはこの国の形すら変える力を持つというのだろうか。
ネットで つながるというのはどうしても 自分の好き嫌いとか趣味が共有されてるとか一つの政治問題とか 社会問題に関心があるとかそういう共通点があって 初めてつながれると思うんですねネットの場合は。 その共通点が失われてしまうとこれはやっぱり ネット型では難しくてこのあと もう一回議論をしていきたいと思います。 橋本さんには オーディエンスルームで声を拾ってきて もらいたいなと思います。
僕は 弱者を守るというよりは日本の空間を守るっていうか家入さんと しゃべったんですけど家入さんが 今リバ邸っていうシェアハウスを 全国に造ってる活動をしてるのは私は 小さい国家を造る事と似てるんじゃないかっていう話をしていて国王 家入じゃないですけど…何ていうのかなまあ よく 宗教っぽいとは言われますけどね。
戦後ニッポンの論壇をリードした作家 三島由紀夫と文芸批評 江藤 淳。 三島が「完成された日本的美学」を書き続けたのに対し彼らはね ある意味で言うと僕たちと全く違って国家っていうのを背負った人たちなの。 だけど 背負っていながらそれによって何とか植民地化されたくないとか近代化の先頭走者なのにそういう感じですかね国家に対するイメージは。
それが ある意味今日 考えたように一回 挫折というかある限界を経験しているので一体 それが何だったのかという事を踏まえたうえでちょっと違うかなっていう感じがする。 特に 世代的に言えば それこそジレンマ世代と言われてるような70年代生まれ以降の人間って多分 権力っていうものが はらむ問題みたいな事についてほとんど ものを考える契機を与えられてこなかったでしょう。
なぜならば 僕自身も東京電力の一番近い大学にここで 電気 使ってる事ができれば安ければいいと思ってるしできれば10円でも安いような大型店舗にガソリン 買いに行ってたわけだし。 僕の事例も話させてもらっていいですかね?僕は 2012年に ネット選挙運動を選挙期間中にインターネットが使えるような公職選挙法を変えようという形で「ワン・ボイス・キャンペーン」という活動をまさに 2012年に立ち上げてたんですけども。
その社会運動と権力の側というのが基本的に かなり対立してますというふうに考えるのが白井は指摘する。 だが 何が善で 何が悪なのかが分かりにくい現代日本で敵か味方かを問い続ける事は 可能か?二項対立を ずらす戦略は?今までの デモのやり方では変わらないっていうのを認めたうえで 新しい方法を模索しようよっていう形で僕は 受け取ったんだけれども実際 敵対する場合にはどうするんですかと。
新しい 「この国のカタチ」のデザインも「場」の設計から見えてくるのか?国会と そのデモの間の乖離というのはものすごく時間はかかるかもしれないけど段階的に 近づいていく事ができるのではないか。 例えば 去年とか 東南アジアに行けたらいいなと思って結構 東南アジアの国を何か国か回って現地で ヒアリングしたりとかそのサービス 実際に使ってもらったりしたんですけど現地の強豪のプレーヤーがいてその時は 海外に進出するのはもう少し先にしようみたいな意思決定をしたんですけど。
日本人の場合は この社会に根本的な敵対性があるんだというふうに認識するのは日本人にとっては特殊状況なんですよ。 しかも 困った事に さっきのはあちゅうさんの言い方でどうしても 学者として引っ掛かっちゃうのはつまり スタンダードだとされてるものと日本的なものを分けちゃうんだけど もしかしたら日本的なものを追究したら世界につながってる可能性があるわけですよね。
分断を認識しつつしかし 言葉を重ね「もっと ワクワクする話を聞きたいです!」。 今の橋本さんの言い方 何あれ?論客の皆さんに 多分 プレッシャーをかけているんだと思います。 それぞれ専門があると思うのでそれぞれの方の活動ベース皆様の活動ベースで何か ワクワクする お話を伺えたら…。
80年代って 明るい時代というか希望が持てた時代だったから自分の子供の頃を考えると 街はどんどん大きくなっていくしあのころ 確かに 戦後日本の一つのピークがあった というのはそうだと思うんですよ。 「70年代は 個人が知る事が少なかったから分裂・分断が可視化されつつある日本。
それは やっぱり 「この国は 何で飯を食っていくのか」という事をもう一度 考える事に他ならないと思うんですがそれをやるためには…建設業といったらすぐ悪者みたいに思うけどそうではなくて 日本の戦後の近代化は 中央に中央にものを吸い上げてくるために地方も使われていたけど地方には地方なりの循環型があって それには建設も必要だし場合によっては談合という今では ほとんど否定語だけど談合って そこで寄り集まってじいさんみたいな人が こっちとこっちの意見を すり合わせてうまく社会を作ってたんであって人もそうだし 農地も
だから 結局 コスモポリタニズムってある種の トップクラスのグローバルエリートたちの行動様式とぴったりと重なってもいるわけですけどね。 で そう考えると 果たしてコスモポリタニズムというのは最も進んだ意識だと言われてきたけど「本当に そうなの?」という疑念がグローバリゼーションが進む中で すごく高まってきていると思うんです。
でも 元旦に この番組を見ている方は結構 意識高いのかなみたいな気がしていて超部分最適な話で話すと 絶対英語は 勉強した方がいいです。 だからプログラミングを 高校生とかだったら「グローバリゼーションが…」と考えてないで英語と プログラミングは絶対やった方がいい。 その時の武器として プログラミングあとは 英語が重要になってくる。 個人で 英語を勉強するとか英語力 日本人 もう少し 上がるようにすればいい というのは短期的には いいと思うんですね。
今日 この議論で足りなかったのはワクワク感みたいなもっと将来に こういう事をして…最後 ちょっと そういう話になったと思うんですけどこういう事をしていこうという具体的な提言みたいな話ができたらよかったなと思って是非 次の「ニッポンのジレンマ」は「ワクワク」をテーマにして呼んでほしいなってちょっと思いました。 ワクワクって… だってここで勝手にワクワクしても 別にさ見てる人が ワクワクするわけじゃないんだから。 だって ワクワクって自分でするものでしょ。
Changeは 日本だと比較的 新しいですよね。 去年初めてChangeのキャンペーンに対してオバマが反応したんですね。 「永続敗戦」って ものすごく簡単に言っちゃえば 「対米従属」ですが日本の対米従属って変わってるんですよね。 どう変わってるかというとアメリカが こう思っているはずだとこう望んでいるはずだという事を日本の側が 先回りをして「俺は アメリカの誰それと友達なんだ。
今日は 全体最適と 部分最適とさっき おっしゃってたんですが自分の職業を振り返ると建築家とか アーキテクトというのは基本的には その 部分と全体って一番 重要な概念でそれを どう つなぐかというのが一番 建築の根幹なんですよね。
それこそ この番組は「1970年以降生まれ 限定です」という事になってますがそれこそ1971年だと思うんですが「戦争を知らない子供たち」という歌が はやった事があってこれから 戦争を知らない子供たちが 中心になってもそれはその地域の共同体を見ていれば国を意識しなくてもいいという前近代の伝統にも即していたし白井さんは 従属だとおっしゃるかもしれないけれどある意味 アメリカに全て お任せしているからこそ日本人自身は 国のカタチなんか考えてなくてもいいってそういう時代であったという事なのかもしれない。