戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第1回「沖縄」

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この番組のまとめ

アメリカ軍の新型輸送機 オスプレイが配備された沖縄・普天間基地。 オスプレイ 許さないぞ!オスプレイ 許さないぞ!普天間基地からオスプレイが飛来する伊江島。 沖縄本島中部にある普天間基地です。 玉那覇清仁さんのふるさとは今 普天間基地の中です。 現在 普天間基地がある場所には戦前 宜野湾村の14の集落がありました。

アメリカ軍は 沖縄が日本本土に含まれる事になればアメリカ軍にとっては 沖縄の基地を自由に コントロールできる事が必要だったのです。 講和後 アメリカは 軍用地の地主と契約を結ぼうと動き出します。 多くの地主が契約を拒否する中アメリカは 強行な手段に出ます。 伊江島に アメリカの土地係官が測量調査に来たのは1953年7月の事でした。 住民たちは 一丸となってアメリカ軍に立ち向かう事になります。 阿波根は アメリカ軍との交渉や住民同士の話し合いなどを詳細に記録していました。

やがて 乞食行進と呼ばれるようになった その行動は軍用地を巡り沖縄全土に広がった闘い国吉さんは アメリカ兵でにぎわう街なかの高校に通っていました。 すぐそこの おうちとおうちの間に連れ込んでね基地周辺にはアメリカ兵相手に営業するバーや飲食店が母子家庭の時には母親が自分の…家賃を払うのは?外国人である訳。 アメリカが それまで毎年 支払ってきた賃貸料を一括して支払う事で無期限に軍用地を使用したいと一括払いという事は買い取るのと一緒でしょ。

1958年6月沖縄代表団と アメリカ軍当局者が2週間にわたって議論しました。 その後 沖縄のアメリカ軍基地は更に拡大していく事になります。 本土から 基地が無くなる一方で沖縄の基地は 1950年代1.7倍に拡張していきました。 万歳! 万歳! 万歳!しかし 私たちはもし 沖縄を返還しなければ住民の大きな反対を受けて基地の継続使用が難しくなると考えました。 私たちにとって 返還は 基地を縮小するためのものではなくむしろ 逆基地を 今後も継続使用するために必要だったのです。

日本政府は その一人一人と新たに契約を結び当時 沖縄復帰対策本部の本部長として 沖縄に派遣され地主と交渉に当たった銅崎富司さんです。 そうでないと 確かに米軍に 基地提供できなくて契約しないという人が たくさん増えたかもしれませんよね。 これは 沖縄大学が当時 契約を拒否した地主に行ったアンケートです。 「契約地主と未契約地主をいがみ合わせるような手段」。 今のままなら基地周辺整備法を利用して医療問題 教育環境整備農業基盤の整備全て あらゆる…。