「林家元木久蔵」。 「林家木久蔵B面」。 「何か いい名前ないかな」と思って一生懸命 探しましたら林家木久扇というのが2通ございまして。 林家三平師匠。 三平師匠は 私を テレビの世界に紹介して下さった方でございまして私が入門しました昭和36年ごろはもう すごい売れっ子でございましてレギュラーを 11本持っていらっしゃいましてね。 三平師匠のお正月は 一日で 21軒回るっていう事 やってまして。
だから 立川談志という方は大恩人でございますね。 そうすると 立川談志っていう人は頭がいいんだか変わっているんだか小ばなしやるんですね。 そしたら 立川談志っていう人は人をね こき使うんですね。 「バカヤロー コノヤローバカヤロー コノヤロー バカヤロー コノヤロー」。 まあ トリは 私の師匠の八代目林家正蔵でございまして86歳で お亡くなりになりましたけれどもいろいろ面倒を見て頂きましたね。
それを 大変だっていうんで師匠が定期券自分で 上野の駅に買いに行ってね私に くれたんです 半年分ね。 もんぺもらう弟子も おりますし扇子もらう弟子も おりますし私は 師匠の書いた日記を頂いたんです。 昭和36年に 私 入門致しまして西荻窪っていう所からずっと 師匠の所へ通っておりましてね朝の8時半までに師匠の家へ行くんですよ。 そうすると 師匠はお弟子さんが8時半に来るからきちんとしてなくちゃいけないって 几帳面な方でございます。
てめえなんか破門だよ~ん」って36回ぐらい破門になった覚えがありますがまあ そういう師匠に 私が弟子入りをしたという事も冗談言っちゃいけねえよ。 そうやって お前だけが朝早くから仕事熱心。 先方は 京都の さるお屋敷にご奉公をしていたという」。 大きいお屋敷にご奉公をしていたという。 年は21 器量は十人並み読み書きができて輿入れの際には たんすの一棹も持ってこようって人だな」。 「何で そんな立派な人があっしみたいな貧乏所帯に来てくれるんですか?」。 ちょっと言葉が丁寧すぎるんだな」。
後で うちの婆さんに届けさせるからとりあえず 家の中をきれいに掃除をして七輪に火をおこして お湯ぐらい沸かしておくんだよ」。 大家といや 親も同然店子といや 子も同然なんて事を言うからな。 こうやって 火種 入れてね上から 炭 足してパタパタ パタパタ あおいでりゃな自然に 七輪の火なんかおこっちまうってこういう訳だからな。 バケツみてえな でっけえ丼鉢に材木みてえな太え箸で飯を食う度に ガンガラガン。 向こうが チンチロリンというと俺の方が ガンガラガン。