まあ 世阿弥が作った当時はそれこそ いろんな場所で能も やってますので世阿弥自身も言ってますけれども田舎でも やるし都でも やっているあるいは 野外でももちろん やってます。 お弁当とかお酒とかいろんなお土産を売ってて世阿弥は 「大和猿楽」と呼ばれる流派に属していました。 事実 義満は祗園祭の時に一緒に見物をしてるんですけどこれに対して 時の貴族有力な貴族が 批判する文章が残されていてその中では 要するに世阿弥つまり 藤若の事を「乞食の所行をする者である」と。
観阿弥は 才能のある大スター世阿弥は 総合プロデュースもする。 そこで 自分自身が学んだ事から観阿弥 おとっつぁんから教えられた事も含めてやはり 「風姿花伝」というものにまとめ上げて書いておこうとしたんでしょうね。 ある意味 必死の跳躍が「風姿花伝」の中に書かれている。 タイトルの「風姿花伝」そこには 世阿弥の「花」への こだわりが込められていました。
この言葉は 多分世阿弥の「風姿花伝」の一番中心的な事だと思うんですよね。 今 誰もが イノベーションという言葉を使ってるんですけど世阿弥は 現代 我々が使っているイノベーション 革新という事の意味をこの「珍しきが花」という言葉の中で言い尽くしてると思うんですよね。 先生 具体的にはどういうふうなやり方をしたんですか?世阿弥自身が いわばビジュアル革命をやったわけですよね。