先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)「黒田官兵衛のナンバー2力」(前編)

戻る
【スポンサーリンク】

05:36:48▶

この番組のまとめ

今 黒田官兵衛の話で盛り上がってたんですよ。 官兵衛のナンバー2としての能力それは トップ秀吉がピンチの時に最も発揮されました。 そんな彼を 官兵衛は驚くべき ひと言で奮い立たせます。 秀吉の名前を天下に とどろかせた…ナンバー2官兵衛の存在がありました。 では まずは どういう経緯で秀吉のナンバー2になっていったのか見ていきたいと思います。 しかし 官兵衛は違った考えを持っていました。 官兵衛は 信長の人物像や地理的な条件などあらゆる情報を収集。

それが…秀吉は 一目で官兵衛の能力を見抜き 高く評価します。 いつの間に!大ピンチに陥った秀吉軍のこの時の状況というのはどうだったんでしょうか?備中高松城に 3,000の人間が籠もってるわけですね。 それを 水攻めにしたわけですがその時 織田信長の中国方面軍秀吉の率いたのがそこで信長が本能寺へ やって来た時に明智光秀にやられてしまいました。 羽柴秀吉は信長のおかげで中国方面軍の司令長官に任命されたわけですけれどもところが その信長が本能寺で亡くなってしまったわけです。

官兵衛の独断でやったところが結構あると思いますね。 決断が 秀吉と官兵衛の間ではすぐできたという。 そんな中 官兵衛は「後継者は 秀吉だ」という大風呂敷を広げたのです。 過酷な行程に空腹も重なれば行軍を開始して7日後秀吉軍は 明智軍との交戦を開始。 その演出を官兵衛がするわけです。 國重さん ビジネスの場でもトップを褒めたりとかあるいは そういう事をしていくという事は あったりしますか?トップを褒めるよりもトップをけなす方が多いですね。