「しあわせ運べるように」が生まれたのは震災直後の神戸。 この日、臼井先生は練習に一人の遺族を招きました。 皆さんも、もちろん経験がないことなんですけども自分の心の中にほんまに一生懸命生きていかないかんっていう気を心の中に持ってもらえたら僕は、ものすごいありがたいかなって思います。 歌は被災した人々を勇気づける希望の歌として神戸中に広がってゆきました。 二本松市立杉田小学校の合唱部では去年4月からこの歌を歌っています。
佐藤先生は、この希望の歌を二本松の人たちにも伝えたいと考えていました。 そこで、歌を作った臼井真先生を招き神戸で、この歌がどのように歌われてきたか話してもらうことにしました。 臼井先生は、これまでも気仙沼、仙台など被災地の学校を訪れ歌に託した神戸の思いを伝えてきました。 ここで、臼井先生は一本のカセットテープを取り出しました。 臼井先生の授業から2か月。 音楽会当日の昼休み最後の練習です。 佐藤先生は歌の最後の部分「生まれ変わるふるさとのまち」は「福島」に変えず「ふるさと」のままにしました。
震災のあと森田先生と臼井先生は火災で大きな被害を受けた長田の御蔵小学校で一緒に教えていました。 森岡先生が「しあわせ運べるように」を知ったのは教師になってからです。 初めて聴いた曲なんだけど涙が、ぶわーって出てきてしかし、教師としてこの歌を教えようと思ったときそんな森岡先生がずっと覚えている震災当日の記憶があります。 放課後、森岡先生は森田先生に相談を持ちかけました。
杉田小学校の合唱部では「しあわせ運べるように」をもっと多くの人に広めたいと二本松の音楽フェスティバルで歌うことにしました。 合唱が盛んな二本松で市民も参加する最大の音楽イベントです。 佐藤先生は会場に歌詞カードを配り臼井先生、子どもたちと一緒にみんなで歌うことにしました。 ルミナリエの翌日渡辺大知さんが西灘小学校を訪れました。