戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 第7回「下北半島」

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この番組のまとめ

♪~本州の最北端 青森県の下北半島。 そうでないでしょ!下北半島の付け根に位置する六ヶ所村。 苦悩の末に 原子力との共存の道を選び取っていった下北半島の人たちの記録です。 下北半島の太平洋側から津軽海峡にかけては北からの親潮と 南から来る黒潮がぶつかり合う全国でも有数の好漁場です。 中学校時代は 成績が抜群で漁師を続けながら文学書をひもとき食えるか食えないかの?高梨さん一家が船を新造した昭和39年 1964年の日本は東京オリンピックの興奮に包まれていました。

公害発生の懸念もあって開発反対の声が高まっていきます。 開発絶対反対の村長をよそに東京の不動産業者が村に乗り込み農地買収の既成事実が積み上げられていきました。 24で会社を株式会社にして自分が社長やってオヤジを会長にして…ちょうど その巨大開発に揺れてた真っ最中ですね。 開発反対の寺下村長に開発推進を訴える 前村議会議長の古川伊勢松候補が挑みました。 僅か79票の差で 開発推進の古川候補が当選します。 重厚長大型産業の衰退が始まり買収が終わった むつ小川原に進出しようという企業は現れませんでした。

原子力船「むつ」の新しい母港としてむつ市関根浜が浮上と伝えたのは昭和56年1月1日の読売新聞でした。 「テレビを見ればシュプレヒコールっていうのをやってるんだからお前 教えてくれ」って言ってやったんですよ シュプレヒコールを。 学園紛争のさなかに当時流行の アングラ芝居と出会い中川長官 来た時に みんなで自分の声を伝えるためにひとつシュプレヒコールを練習しましょう。 俺も含めてシュプレヒコールなんて 訳分かんねえ。 おいおい 亀んとこの息子ってシュプレヒコールって 何だか分かるか?分かるわって。

関根浜漁協では 当初は母港化に反対していた組合長が賛成に転じ 1,200万円の迷惑料と引き換えに海域調査の受け入れが決まります。

もともと そういう ウラン235が燃えるとか燃えないとか原子力施設を受け入れ地域活性化の起爆剤としたい推進派放射能への不安が拭えない反対派が ぶつかり合い漁協総会が紛糾。 一号議案つまり 調査の受け入れは出ていけ~!今すぐ 出ていけ〜!機動隊は帰れ~!反対派漁民の中村勘次郎さんは警戒をついて船を出し横に旋回しながら来るからこういうふうに渦を巻いて来るから 波がこう…。 一枚岩だった泊の反対派漁民はあくまで「絶対反対」を貫くか核燃料サイクルを止める現実的な選択だと考えたのです。

更に 電源三法交付金や核燃料サイクル施設から上がる固定資産税で村の人口のおよそ10分の1が社員です。 これを再処理してプルトニウムと更に強い放射能を持つ高レベル放射性廃棄物に分離します。 使用済み核燃料の搬出先として選ばれたのが再処理工場の建設が進む六ヶ所村でした。 再処理が始まったらリサイクルするという理由でまだ稼働していない施設に全国の原発から使用済み核燃料が集められたのです。