画家の名は 藤田嗣治。 僕は 藤田嗣治は「旅する画家」という印象がすごい強いですね。 一方で 藤田という画家自分自身への思いみたいなもの考え方みたいなものをそこに はき出している。 日本人画家として どうやって自分の芸術を作り上げるかという事を非常に 今度は熱く語るようになるわけです。 究極に言うならば これが奥様へのラブレターであると同時に自分自身への自分を鼓舞するための恋文自分へのラブレターであったという感じが私は この手紙を調べさせて読ませて頂いて非常に感じています。
藤田より5歳年上のピカソは既に その名を轟かせていました。 ピカソは この頃 ものを多面的な視点から捉える キュビスムに傾倒。 藤田は 友人を介してピカソのアトリエにまで足を運びます。 藤田が ピカソから刺激を受けて描いたとされる一枚。 藤田が言っている事で日本は貧乏国だと。 スポーツの世界とちょっと似てますかね?スポーツ?例えば 今で言うと本田圭佑選手とか絶対に 向こうで成功してやるって思ってそのために必要な事を身につけていくという順番なんですね 思考様式が。 そして 藤田の黄金時代が幕を開けます。
東京藝術大学の木島隆康さんたちは絵の具には使わない炭酸カルシウムの粉を加えていました。 そして 面相筆で引いた優美な輪郭線。 また この乳白色の肌にこう つい目が奪われるんですがほんと それを引き立てるかのように 面相筆で描いたというか下書きが写っちゃったのかなって見えてしまうんですけどね 一見。 でも この一本の線というのは日本人が世界に示した圧倒的な存在感ですよね。 45歳の時 藤田は それまでにないインスピレーションを求めて新しい恋人のマドレーヌと中南米への旅に出ます。