演目は…でも 今回のお噺は 仏教内の宗派論争ではありません。 一人息子の若旦那・孝太郎はキリスト教を信仰しています。 大旦那が 跡取り息子の事で番頭さんに愚痴を言っている場面から。 旦那様の前でございますが 別に若旦那 女狂いをされているとか博打に凝って 金を湯水のごとく使うというわけではございません。 ところが あの子はねうちの一人息子 跡取りだよ。 部屋中の壁という壁に十字架っていうのかい?あれが ぶら下がってて布団の柄まで 十字になってる。
兆載永劫の難行苦行をあそばされた後に阿弥陀如来といわれる尊きお方におなりあそばされた。 じゃあ 何かい? 私と 亡くなったばあさんと 天の神様と三角関係か何かあったというのかい?お父様 そのように脱ぷん…興奮なされてはいけません。 え?大体 お前の神様ってのは一体何をした人だ?お父様 私 その質問を玄関 玄関… オウ~…?台所? お茶の間?「今か今か」と待っております。 これが奇跡です!お父様まだ分かって頂けませんか?それでは イエス最大の奇跡をご紹介しましょう。 若旦那は 絶好調大旦那は 爆発寸前。
ところが この落語の「宗論」はキリスト教だからお釈迦様の恥でも何でもないんですがああいう言葉が残ってるというのはもしかするとこういう狂言の「宗論」なんかも関係あったのかもしれないですね。 仏教と キリスト教との「宗論」が書かれた背景には江戸時代禁止されていたキリスト教が明治維新以降に認められた事があります。 劇作家益田太郎冠者はそんな自由な空気を落語 「宗論」の笑いに仕立て上げました。