ETV特集 アンコール「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸〜」

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この番組のまとめ

漁業に深刻な打撃を与え 人々を不安に陥れる 海の放射能汚染。 日本各地の港で放射性物質に汚染されたマグロがしかし 核実験を行ったアメリカは放射性物質は水で薄まるため無害になると主張します。 五色のテープも華やかに遠くビキニの海に向かう 俊鶻丸に2か月にわたる調査の結果海の汚染は容易に薄まらずその実態を解明した日本の科学者たち。 アメリカは 海の汚染を否定する一方で日本の汚染されたマグロが輸入され国内に流通する事を恐れていました。

岡野さんは放射能測定の専門家として乗組員を被ばくから守る放射線防護の役目を担いました。 俊鶻丸が向かう ビキニ環礁ではアメリカが まだ核実験を継続していたからです。 被ばくした第五福竜丸の展示館に岡野さんが俊鶻丸で使った放射線測定器が保存されています。 岡野さんたちの向かう海域は1946年以来アメリカが核実験を繰り返してきた場所でした。

爆発によって亜鉛が放射能を帯び海洋汚染というのは こうやって測るんだよ という事を俊鶻丸が世界に広めたんですね。 「こうして 全世界注目のうちに51日間にわたる ビキニ海域の調査を終えた俊鶻丸は貴重な調査資料2,000余点を載せて俊鶻丸が帰国した7月。 日本側は三宅泰雄さんをはじめとする俊鶻丸顧問団のメンバーが中心です。 会議では ウィリス・ボス博士が核兵器関連施設の排水が流れ込むアメリカの ホワイト・オーク・レイクという湖の放射能汚染の実例について 報告しました。

アメリカでは 核実験により放出されたストロンチウムが小麦やミルクなどの食品を汚染しました。 気象研究所の三宅泰雄さんは俊鶻丸の調査の後も核実験への警告を発し続けていました。 科学的なデータの蓄積と国際世論の高まりを受けアメリカ イギリス ソビエトの三か国は部分的核実験禁止条約を締結。 1966年日本で初めての商業用原発…その翌年 将来の日本のエネルギーの基軸を 原子力と定めこの急速な展開に危機感を抱いたのが 三宅泰雄さんでした。