日曜美術館「画鬼と呼ばれた絵師~弟子・コンドルが見た河鍋暁斎〜」

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この番組のまとめ

館長で 暁斎のひ孫に当たる…暁斎の功績を広めようとこの美術館を設立しました。 晩年の58歳になった時絵の師匠 暁斎の事を一冊の英文の本に まとめました。 コンドルの本を朗読しながら「画鬼」と呼ばれるようになった暁斎の伝記をたどりましょう。 当時 15歳だった暁斎は様々に変化する火勢を熟視し一心に そのスケッチを始めた。 燃え盛る炎は後年暁斎が得意とした地獄極楽図に生かされます。 ですから 暁斎の炎ってほんとにこっちに来そうなものもありますしそういったリアリティ−があるんですね。

絵師として人気が高まっていた34歳の時暁斎は まず筆をとる前に 酒を要求し大盃で ゆっくりと三杯傾けたのち一気に 巨龍の輪郭取りにとりかかった。 暁斎は 2~3本の酒瓶を傾けた後おもむろに筆をとって一気呵成に仕上げました。 暁斎は週1回 人力車に乗ってコンドルの家に 出稽古に行きました。 コンドルの修業はまず 暁斎の描く様子をよく見る事でした。 「数年間 少なからぬ肉体的な困難と戦いながらも暁斎の指導のもとに日本画の技法を実践し得た。 暁斎の教えを習得した コンドルは展覧会で賞を受けるまでになりました。

やがて師弟を超え 強い絆を結ぶようになった 暁斎とコンドル。 日光に行くため 上野駅に集合した暁斎と コンドルです。 コンドルが 躍動感あふれる筆遣いの秀作として挙げた 暁斎の絵。 「衣装をまとう 大きな人物画を精密に仕立てようとする時暁斎は まずその人物のヌードを 線描で描き正確な身体の比率や姿勢を把握しようとする方法をとった。 暁斎は 技法の奥義を コンドルが身に着けられるようにこれらの鯉を 暁斎がどのようにして描いたのかコンドルは 克明にメモしました。 暁斎は コンドルのためにこの屏風を描きました。