日本の話芸 落語「竹の水仙」

戻る
【スポンサーリンク】
15:06:07▶

この番組のまとめ

「お父さんはな 8月の4日屋久島一周を走ってくるよ」。 「何なの? 急に その屋久島って」。 「8月の4日 は「屋久島って 何キロ?」。 うれしかったのは 家族がみんな 屋久島まで来てくれた。 「フルマラソンは何回ぐらい 走ったの?」。 「あんた ばかか?42キロを経験してなくて 何でいきなり 100キロも走れるの?最低 2度ぐらいは指宿の菜の花マラソン 走って1回目の初マラソンの時はスタート地点が分からないの。

どう見てみたって 70台後半昔のオリンピックランナー。 今は 87歳になられてふるさとの秋田県の田沢湖のフルマラソンを走ってらっしゃる。 とんでも いまだにね あの2回目のフルマラソンの5キロ地点は覚えてます。 この噂がたちまち広がりまして左 甚五郎の名声が より一層高まったと言われております。 「チョイト~ッもう チョイト チョイト チョイト チョイト〜ッ」。 「うるせえな朝から チョイト チョイトって。 チョイトを売って歩いてんのかよ。

「贅沢三昧しやがってさぁ第一 贅沢できる身装じゃないよ あの格好は。 着ている着物は東海道」。 「ヒョロピリの着物」。 「何だい? またその ヒョロピリってなぁ」。 「ヒョロッと 避けたら ピリッと裂けちゃうから ヒョロピリ。 あの~ これ 私が言うんじゃございませんで嬶の野郎が言うんですけれども今日でちょうど 10日 経ちますんでもし よろしければ ここいらで一度 お勘定のほうをして頂ければ 大変にありがたいんでございますが如何なもんでございましょうか?」。

肥後熊本の城主 55万5,000石細川越中守様の行列。 この行列が 近江屋左兵衛の宿の前を通ろうとした時ちょうど朝日が上がって参りましてまぶしいばかりの 朝のサンライズがサ~ッと 表を照らします。 しばらく ジッと竹の水仙を見ておりました違いの分かる男 細川公「駕籠を止めい」。 「大槻玄蕃 大槻玄蕃」。 大槻玄蕃という男 身の丈は6尺はあろうかという筋骨隆々の顔中 髭だらけの武者男。 私は肥後熊本の城主 55万5,000石細川越中公の家来大槻玄蕃と申す者じゃ。

「何?『他の大名であれば もう少し高く売るというところを相手が越中守様であればこれだけだ』と指を 2本 出したか。 「何? 2百両?たかだか 竹で作った水仙の花が2百両とは高すぎる。 「『相手が越中守様であれば…』」。 千両 万両と値を積んだところで気が向かねば 作ってくれぬ名人の作を たかだか 2百両?で 高いといって買ってこなかったのか」。 大槻玄蕃 真っ青になって裸足で駆けだした。 やって来たのが 米屋の借金取り酒屋の借金取り 借金取りだらけ。