ETV特集「戦傷病者の長い戦後」

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この番組のまとめ

かつて 35万人を数えた傷痍軍人会の会員はその多くが亡くなった。 靖国神社の程近くに日本傷痍軍人会が運営してきた戦傷病者史料館「しょうけい館」がある。 それで 見えてよう見えるしな ああ見える見えるなんて喜んでたら戦争中は 傷痍軍人に対して国から手厚い保護があった。 「秩父宮 高松宮 三笠宮三妃殿下にはおそろいにて 11月30日東京府下 清瀬村の傷痍軍人東京療養所をご慰問あそばされました」。 「名誉の負傷」と言われた傷痍軍人に国は敬意を払った。

だから私が 大変やっていう事…内地での傷痍軍人のさまざまな保護に対して戦況の悪化した前線では傷病兵といえども特別な扱いは望むべくもなかった。 祖国の土を踏んだ戦傷病者を待っていたのは予想もしない不本意な扱いだった。 退院し 社会に出ても 戦傷病者に対する処遇は冷たかった。 生きなければならなかった戦傷病者たち。 戦傷病者に対する国の支援を復活すべきだ」。 銀座に 200人ぐらい いたんじゃないかな 集まってましたけど…戦傷病者に対し 国が責任を持って支援する事を求めている。

あしたから もう あれを無理して付けなくてもいいっていうのが…戦傷病者たちの人生をさまざまな形で展示する…結婚して以来 ズーっと喜一を見てまいりました。 ミキさんは 結婚当初から喜一さんが毎晩のように戦場の記憶にうなされ苦しむのを見続けてきた。 戦争の傷と共に生きた千葉喜一さんは平成21年 85歳で亡くなった。 そんだけ やっぱり…苦労した人生が戦傷病者たちは 家族や周りの人に多くを語らないまま戦後を生きた。 父は下半身不随で 43年ベッドの上の生活をしましたけども多くを語らないまま生きた戦傷病者がいた。