ETV特集「戦傷病者の長い戦後」

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この番組のまとめ

かつて 35万人を数えた傷痍軍人会の会員はその多くが亡くなった。 靖国神社の程近くに日本傷痍軍人会が運営してきた戦傷病者から寄贈された品々。 それで 見えてよう見えるしな ああ見える見えるなんて喜んでたら戦争中は 傷痍軍人に対して国から手厚い保護があった。 「秩父宮 高松宮 三笠宮三妃殿下にはおそろいにて 11月30日東京府下 清瀬村の傷痍軍人東京療養所をご慰問あそばされました」。

終戦後 日本を占領統治したGHQの方針によって病院では言っています」。 しかし 海軍病院は戦後一般の国立病院となる。 戦艦「伊勢」で負傷し 両目を失明した 川人義明さんも病院で途方に暮れていた。 18歳で両眼失明となった川人さんは 昭和22年 病院を退院。 もう独立したんだという事で…銀座に 200人ぐらい いたんじゃないかな 集まってましたけど…戦傷病者に対し 国が責任を持って支援する事を求めている。

大日方さんは能動作業義手を使いこなし技師として 工場の現場で働いた。 私が 定年になった時によかったなと思うのは会社に行く事自体じゃなくてこの義手を 毎日義務として付けなくていい。 ミキさんは 結婚当初から喜一さんが毎晩のように戦場の記憶にうなされ苦しむのを見続けてきた。 戦争の傷と共に生きた千葉喜一さんは平成21年 85歳で亡くなった。