日曜美術館「自ら学び 革新せよ~日本画家たちの戦い〜」

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この番組のまとめ

この「悲母観音」というのを見るとよく分かると思います。 そして 後に描いたのが「悲母観音」。 そういった背伸びした姿勢じゃなくて今まで 自分が学んできた狩野派の技法そして 西洋画の技法そういったものを全部 踏まえたうえで新しい境地に進んでいったのが「悲母観音」というふうに言えると思うんです。 その事を物語るのが「悲母観音」の下絵です。 「悲母観音」の制作中愛妻の よしが他界。

観音様を描いているんだけれども実は そこに芳崖自身の 亡くなった妻への愛を重ね合わせて女性らしい観音に変えてしまった。 こうして 芳崖が切り開いていった日本画ですがこんな 神秘的な世界を描くと思えば…がらりと違う あでやかな屏風も。 大体 御舟の前の世代ぐらいまでは基本的には 墨で描いてますし御舟の世代なんかでも墨で描いてる。 でも 御舟は このスケッチについては鉛筆とか木炭とかそういう どちらかと言うと西洋画なんかで使われている技法を使うんですね。

群青というのは ほんとに美しい色だなというイメージですがやっぱり それほど恐ろしい色なんでしょうか?実際 御舟は「群青中毒になってしまった」とも語っているそうなんですがただ それを絵にする時にそういう強いものって劇薬ですので他を食っちゃうんですね。 大物政治家や人気力士まで教えを聞きにやって来たという 禾山。 この言葉に触れた小説家 横溝正史はこんな事を つぶやいたとか。 せめて 80代まで現役で頑張ったアガサ・クリスティのようにはなりたいという言葉を残しているそうなんですが…。

琳派や歴史画など 古典的な世界を独自の手法で描く事でそれに 一つの答えを示した画家がいます。 遊亀の孫の健一さんは越路を モデルとするのは遊亀にとって大変な事だったといいます。 それは 「絵にする前に浴衣を着て デッキチェアに横たわる越路の姿。 画家が同時代の誰もが知っているスターもしくは 人物を描くというのは一体どのような思いが?同時代のものっていうのはやっぱり ホットなんですね。