新世代が解く!ニッポンのジレンマ「言葉はどこまで届いているか?」

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この番組のまとめ

アカデミズム ビジネスの垣根を越えフロントランナーの言葉を聞き届けてきた。 学者や研究者らの 100年 200年の時間的スパンで国を見る視点と番組ホームページから応募 参加してくれた100人の オーディエンスを前に討論が始まる。 今日は 「ジレンマ」のファンの皆さんと感謝祭という事でNHKの中で公開収録を行っております。 まずは ジャーナリストで メディアアーティストの津田大介さんです。 ソーシャルメディアを利用した新しい ジャーナリズムを実践。

幸福のジレンマを読み解くのは一児の母 詩人であり 新時代の生き方を分析する社会学者ら第一線で活躍する女性たちが「幸福のジレンマ」を語った。 しばしば言われるような状態の起源というのは近代に入る一歩手前江戸時代に つくられた稲作を中心にした農耕社会というのが気軽に 「いいね」と言える時代というよりはお互い 「いいね」と言い合わないと生き残れない時代だったという事が 大きいのかなというのが自分なりに持っている印象ですね。

第一線で活躍するクリエイター 科学者起業家たちと共に考えた「科学の役割」。 そういう大前提を 社会の方が一旦なくすという必要もすごく価値のある投資であるという事を都内に 新事業を模索する起業家が集う コーワーキングスペースがある。

それは濱田さんも言ってたけど情報環境も発達しちゃったしいわゆる江戸時代の 與那覇さんの話とも つながりますけど江戸時代とか稲作文化が出てきたお互い監視するような五人組社会みたいなものが今もう日本中で出来るわけですね。

ほんとだったらSNSって自分の気持ちいいペースで気持ちいい人と つながってコミュニケーションできるという事でそこが今 数的にもつながっている人たちもすごくいい状態を保っているから気持ちいいのであってTwitterとかFacebookとか見てるとすごい 自分の好きな人と簡単につながれるじゃないですか。 「資本主義」って言葉が出たけどもう少し限定した方がよくて金融資本主義なんですよ。 金融資本主義というのはどんどん世界中に広がっていくというものが特徴なんですよね。

長らく 「就職のための予備校」とも言われ 存在意義が問われる中大学は どこへ向かうべきなのか?ゲストには 「ジレンマ」史上最年少の早稲田大学7回生を招いた。 現役の学生でいながら24歳の現役大学生 税所をはじめ教育改革の先鋒者が「大学」を語った。 今 圧倒的に足りてないのは僕の中では 大学というのはある意味 その人のポテンシャルを最大限まで引きのばしてあげる一つのファンクションがあると思っていてその中で 圧倒的に足りてないのが一人一人に対する人間の自己尊厳の感覚がすごい弱いなと思ってます。

高校3年生の夏休みに 実際に母親を APUまで連れてきて自分が 今まで調べた情報だったりとか東京にある大学と 何が違うのかを自分なりに説明をして大学 もちろん東京の方にたくさん あるんですがまた「早慶」「MARCH」と言われるところに合格者を出す事が高校の全体目標みたいなところで生活をしていたんですがそこで 偏差値や名前のバリュー以外に価値というのをAPUに見いだして日本の 何かよく分からない「べ… 別府…?」って読めなかったかもしれないような街が日本の中で自分の唯一の街になっていく。

面白かったし学生も本当に魅力的だった一方でみんな やる気があって寮に入る時に 外国人留学生とルームメートになったりとかシステムとして きちんと交流しないとできない仕組みになっていて多分 彼は ものすごいそこから はじかれたんですね。 ものすごく求心力が高くて魅力的な大学だったけれどもそのコミュニティーになじめなかったヤツはすごい 4年間疎外を抱えて やってきて。 今 聞いて思ったのは寛容性とか多様性って一見 美しい言葉だけど結構タフなマインドが個々人に求められるって事ですよね。

研究者 建築家 起業家ブロガー 社会活動家。 十人十色の若き知性が集合しこの国は 今 どこにいるのかどこへ向かえばいいのか「この国のカタチ」といって「ああ 司馬遼太郎のあれが元ネタだね」と思う世代と見れないものが あるんじゃないかという基本的な立場があるんです。 これからこれまで入ってきた税収がどんどん なくなっていくという事が 起こっていてそうすると 例えばいろんな試算をしてると郊外の ある自治体だと普通に通る道路の総延長のAmazonが最近…。

だから実は 政治でも 外交問題で急に 尖閣諸島の話でその象徴が 今言語の話で出てるんですよね。 でも何だろうな 割と番組のほうが分断線というふうにしたがっているんですけどあえて その分断線って話を引き受けると要するに最初から言ってる事で一つ キーワードで言った「過渡期」っていう話ですよね。 その上で結局今の社会の過渡期とどうつながってくるかと言うと砂粒化って言葉があるんですけどバラバラって事ですよ 砂粒って。

僕 面白いなと思いながら見てたんですけどただ 全体を見て思ったのは例えばこの国で 力を持っているようなエスタブリッシュメント例えば政治家だったりとか起業家だったりとかっていうもう60 70の人たちが見て「何言ってんだ」っていうひと言で終わりだろうなと。 ただ 労働組合も 新自由主義的な価値観になった中でそれが果たせなくなってる時に新しい連帯の形アメリカ型の職能別ユニオンみたいなねもっと大きく ちゃんと企業を超えてつながれるようなギルドだったり ユニオンなのか…そういうものなのかもしれないし。

聞いてくれてはいるんですけど元日の「ジレンマ」の時は「やっぱり コミュニケーションじゃないね」と言っていて学者の方がやるのは 演説であって自分の思ってる事を終わるまで絶対に他の人にしゃべらせないんですよ。

アンケートでも 「議論による到達点を探しているか」「エンタメ性を求めているか」みたいのありましたけど 私はこの 分断があるかもしれないメンバーの中で何かしらのゴールを求めて最後 到達点を出して終わるものと思ってたんですね。 誰に向けて語っているのかという時に「実は 自分の専門知識はあなたの抱えている問題意識に応用可能なんですよ」というような伝え方ができてその上での議論が見れると多分 有意義な議論になるんじゃないかなというのはありますね。

でも言葉によってつながった場合継続性が生まれると思うんですね。 東日本大震災って すごく大きかったなと思っていて「ジレンマ」でも 一回芸術という力があって2つの事 思ったんです。 押しつけがましくない音楽みたいなものがすごく 人の心を癒やしたり奮い立たせたりみたいな事は実は芸術にはそういう力があるという強さを感じたと同時に一方で人が少し前向きとかポジティブに なり始めてそこから行動に移す時って言葉って強いなと思ったんですね。

後半の方で大学の話なんかがあって なかなか大学の間に やりたい事なんかすぐに見つけなくて よくていろいろ探せばいいってお話があったんですけど見つけられる可能性も多様な接点があって初めて生まれるんじゃないかなと今日のお話聞いてたんですね。 内田さんが言ってた 対立軸っていうのは 世代間ではなくて一つ 最初の方に VTRであった3年たって思うのは 日本人の変わりたくない欲ってすごいなと。

今日は「言葉はどこまで届いているか?」っていうタイトルで皆さんは この「ジレンマ」っていうテレビ番組自体もコミュニケーションのメディアであり討論であると思うんですけど何について語っていてどこまで 誰に届けようとしてるのかっていう点についてどんなふうに お考えになりながら参加してるのかなって事をお聞かせ頂けたらと思います。