先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) トップは発想せよ!「伊達政宗」(後編)

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この番組のまとめ

その手は どんな未来を描き出していくのか?世界的建築家 隈 研吾はその知恵を どう読み解く?佐藤さん政宗の町づくりというのはどれだけの困難を伴ったものだったんですか?隈さんも非常に大きなプロジェクトの中でさまざまな逆境ってあると思うんですが例えば どんな事がありますか?歌舞伎座なんて日本中の人が見てるわけじゃないですか。

家臣にとっては 所得倍増藩にとっては支出抑制となる相乗効果の仕組みを生み出したのです。 仙台藩内では急速に新田開発が進み宮城を代表する米どころ大崎平野もこの政策によって生まれていきます。 この仕組みで仙台藩は 江戸時代中期に実質 百万石の石高を実現していきます。 政宗は この相乗効果を生む仕掛けを発想する事で仙台藩の繁栄の礎を築いていったのです。 政宗は どういう思いで仙台の町をつくり上げていこうと思っていたんですかね?政宗のね 先生虎哉和尚。

政宗は津波で被災した海沿いの地域を積極的に開発し立て札で呼びかけ 領内の経済を安定させようとしました。 津波が南の方から本堂に向かって入ってきて仙台藩の もう一つの復興事業それは海沿いの被災地に塩田を築く事でした。 政宗は 自ら抜擢した長州出身の浪人 川村孫兵衛を入浜式製塩は潮の満ち干を利用して海水を大量に引き込みそこから塩を抽出する方法です。 さんさん商店街ってあるじゃないですか復興商店街。 各地に復興商店街あるんですけどさんさん商店街いつもお客さんいますもんね。

ほんとに 本当に…我々も 政宗公の遺志を心の底に置いて一生懸命 とにかく仙台平野を守るためにもこれからも頑張っていきたいと思ってます。 この愛林碑を見る度にですね先祖の方々から 大事に受け継いできた この松の林まさに 先ほどの南三陸のお話ありますけれどもこういった 次へっていう視点どうでしょうか?今の政宗の発想1,000代あとですよねそのあとに残すぐらいの気持ちで質のいいものをつくるっていうとこが大事だと思うんですよね。