今日は こちら 円谷英二の知恵をご堪能頂きたいと思います。 特撮の神様として今や世界に その名をとどろかす 円谷英二。 その知恵とは どのようなものだったのでしょうか?2,200万個もの星を映し出すプラネタリウムを開発。 清水さん まず 円谷英二この知恵を ひと言で言うとどうなりますか?まさに 特殊効果。 どう乗り越えていったのか というところを見て頂きたいんですが大平さんプラネタリウムって制約ってあります?あります あります。
実は その方を あちらの映画館さながらのスクリーンで明治34年 1901年特に 発明されたばかりの飛行機など…当時 映画とかも草創期ですし飛行機 映画っていうのが 一番興味あったんじゃないですかね。 大正15年に撮影に参加したこの作品では当時の日本映画では考えられないほど斬新な表現が用いられました。
例えば 急斜面の山道を車で走るシーンも 「スクリーンプロセス」で表現。 この仕事をきっかけに映画業界の中で円谷の才能と技術は高く評価されるようになっていくのです。 構造を よく知り抜いていたからさっき VTRに出てきたようなスクリーンプロセスみたいなものをやればお客さんの視点で見るとちゃんとした画面として仕上がって見えるよって事が分かったんですよね。 まず プラネタリウムは 作れる場所が自宅の木造家屋の2階でしたから場所が狭い。
それは 戦時中だったから必要あって求められて作っている状態なので実家からお借りしてきたんですけれども「映画なんか あっさり捨てて見事に転身する覚悟で既に玩具製作を開始しております」と。 当時 映画スタッフの間では巨匠 黒澤 明や小津安二郎のもと円谷のもとで特撮に携わっていた…当時は 特撮というだけで他の社員から軽んじられていたのだといいます。 その人の必要性を 丁寧に説き仕事への やる気を奮起させた円谷英二。
怪獣から小道具まで特撮に欠かせない多くのものがこの工房で生み出されています。 これは…円谷英二さんも もし生きてたらそういった新しい技術ってどんどん取り入れる人だったと聞いてますのでその辺はその精神を受け継ぐ意味で…次に行く場所も特撮には欠かせない所なんです。 割と それが再現できるというか円谷が育んだ特撮の世界を受け継ぐ人々はより多くの驚きと感動を与える表現を求め 進み続けていました。