青谷上寺地遺跡は 「弥生の博物館」と呼ばれるようになった。 相手は 現代の木工芸で 最高峰の技術を誇る 3人の人間国宝。 国内外の美術館に作品が収められるなどNHKの依頼を受けた人間国宝が青谷へ やって来た。 現在4人しかいない木工芸の人間国宝のうち真っ先に 出土品を見る。 少しは振り返って当時の生活様式とか彼らが どういうふうに何を考えてたとかそして こういうものを作るという事の楽しみが木製品の作り方を ひもとく鍵が青谷上寺地遺跡から発見された鉄の工具である。
現物というか 元の姿というかそして 図面と写真を見てどの復元工具を どう使えば曲がった板を作る事ができるのか。 こんなに 時間がかかるとは思わなんだけどそれも 当時の工人がクリアーした事なんやからそれを思い出させて頂きたいし私も これを自由自在に使えるようになるという事はまた違った意味で 次への工具の使い方が分かると思うんです。 復元工具を使ってもらったのにはある期待も込められていた。
木工部と こういう金属加工部が同居してるか金属加工部の集団があって木工集団があってという。 それも 上からやれというんじゃなしに自分たちのものだという意識で仕事をしてるんでかなり 面白いというのか…面白いで済まないね穏やかな気持ちというのかそういう気持ちの物が出来ている。 首都大学東京の山田昌久教授は優秀な木工職人がそろった青谷はこの交流で 重要な役割を果たしていたと推測する。 青谷が 日本海沿岸に精巧な木製品をこれは 誰もが作れる物ではなかったと思います。