ミュージック・ポートレイト選「加山雄三×黒柳徹子 第1夜」

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この番組のまとめ

音楽の道を歩んだ2人がコンサート会場で出会います。 それで 私が それから すぐ生まれたもんですから「ザーネル ザーネル ビンデル ビーデル」ってさドイツ語で 母は 私の事を育てたもんですから…この「第九」は もう すごくやっぱり 聴くと何か懐かしい思いがします。 生まれる前から両親が聴いてるからDNAの中に もう音楽の記憶があるんだろうね。 それが どうも DNAの中で拒絶反応だったんだと思うんですよ。 それで「St.Louis Blues」をしょうがないからジャンジャカかけたらすやすやと寝たと。

加山さんはピアノやスキー 水泳を楽しむ何か ワンワンワンって ラジオで鳴ってね。 「関東地区 関東地区警戒警報発令」って。 カタカタ うん。 カタカタ カタカタ。 そう カタカタって。 私の父はねシベリアの捕虜になったんですけど運よくね 何かバイオリンが弾けるという事が分かったらね徹子さんは 11歳の時青森に疎開し 終戦を迎えます。 そして 終戦後出征した父の消息も分からない時期に心に残る歌と出会いました。

でも ずっと聴いてた時に銀座知ってる 銀座知ってるって。 まあ 父と1年に一度 銀座へ行ってねいろんな… 資生堂 行ってアイスクリーム食べてみたいな。 徹子さんは 当時 シベリアに抑留されていた父との思い出をそんなね…その時 もう 戦後でしたからねそんなさ女学校1年生か2年生の子 見て「座長にして お返ししますから」っていうのも大胆な話だと思ったんですけど。 徹子さんは 疎開先から戻ると東京の女学校に通います。 教会の副牧師に片思いした徹子さんは週4回も通ってオルガンを弾きました。

それが 今の「I Don’t HurtAnymore」っていうのをね教えろ 教えろでね。 それ以来 カントリーに魅せられてまあ ギターに魅せられてもう ジャカジャカ。 スリーコードさえ覚えりゃできるみたいなのが カントリー。 カントリー・クロップスってね。 クロップスって 収穫物。 ♪「ラララリ~ン ジャララ〜 ラ〜ラリン」♪「ララリ~ン ラララ〜」なんつってね。 カントリーはそういう感じでいいんですよ。 NHKの俳優養成所に入ったのです。 映画が主流の時代テレビ女優という全く新しい存在への挑戦。

当時 ほとんど無名だった若いキャストによる歌とコメディーが 視聴者を魅了。 また 名物コーナー「今月の歌」で永 六輔 中村八大の2人が生み出した曲が次々とヒットしました。 まあ 生放送の頃はね本当に ひどい事いっぱい ありましたしね。 当時ね 「終わり」って書いたフリップこういうのに「終わり」って書いたの その辺 どこにも落っこってたんですよ。 ディレクターが上にいるだけで。 ディレクターに相談もしないで。

この曲で シンガーソングライター 加山雄三が誕生しました。 これは 自分でね多重録音って事をねまあ 一番最初に日本でやったのは僕だと思うんですよ。 うちのおやじがねワイヤーレコーダーってテープレコーダーのもう一つ前にね録音装置で髪の毛みたいな針金に録音するっていう機械だったのね。 で 今度は ピアノも入れてギターも入れてって一人でやると多重録音ってなる。