ETV特集「ふるさと“水俣”に生きる~次世代からのメッセージ〜」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

水俣病と闘いながら網元の娘として強い責任感で生き抜いた 母。 水俣病多発地域の一つです。 水俣病は チッソ水俣工場からの排水に含まれていた有機水銀が魚介類を汚染しその魚介類を食べる事で脳や神経が冒される有機水銀中毒です。 昭和34年 30軒の漁師を束ねる網元杉本家を 水俣病が襲いました。

ここにも 水俣病の次世代を生きる人がいます。 通所介護施設を経営する川本愛一郎さんです。 水俣病患者や体に障害のある人がその人らしい暮らしを送れるようにと愛一郎さんは 続けてきました。 まあ 少しでもお手伝いができればというのが愛一郎さんの父川本輝夫さんは輝夫さんはその無念を晴らしたいと行動を起こしました。 昭和43年 国は水俣病の原因は チッソの工場排水であると認めました。 川本さんは深刻な水俣病の被害の実態そして 認定制度によって水俣病ではないとされる被害者の現実を 訴えかけました。

一人一人の名前を持ったですね一人一人の手に 奪われた尊厳を取り戻すというのがこの日 川本愛一郎さんは近所に住む 水俣病患者の緒方正実さんを訪ねました。 この日 原田利恵さんが水俣病患者の通所施設を訪れました。 利恵さんの父親は50年以上にわたって水俣病と向き合い続けた医師・原田正純さんです。 利恵さんは 大学院の修士論文で水俣病第二世代に焦点を当てた論文を書きました。 水俣病の被害は社会的な影響も含めて世代を超えて続いているという思いからでした。

一度は漁を諦めた 杉本 雄さんと栄子さんでしたが5人兄弟の中で ただ一人 水俣に残っていた 四男の実さんが漁師になる事を決心してくれたからです。 水俣病の症状は相変わらず続いていました。 「栄子 栄子!」って 怖い父さんの大きな声が聞こえてその時には ドキッとして目覚めながら 弟たちを起こして御飯を食べさせて学校に行こうとすると「救急車ば呼ぼか」っていうふうに言われます。 栄子さんは 平成7年から12年間水俣病資料館の語り部をしていました。