♪~この方 若い時分は 江戸で「いや 幾日 何十日 俺ん所へいても構わねえんだがなまぁ こういう田舎はないろいろ うるせえんだよ ああ。 こらぁ 文句が短けえからな都々逸がいいんじゃねえかと思うんだ」。 「俺ゃな蒟蒻屋の親分の世話でこの寺へ来て早えもんで 半年になるな」。 な? 『いろはにほへと』のお経を上げて都々逸の引導を渡してやりてえじゃねえかよ。 いねえ事は無えだがね源十どん所の婆様はえかく 大病でな あああの婆様おっ死んでくれればな~田地田畑はあるし 婆様の馬まで あるだよ~ ああ。
『違った 違った 酢天蓋だ』ってそう 言ったんべえ。 玄関の障子を開けてみると鼠色の衣に鼠色の脚絆甲掛の旅僧で。 「拙僧は 越前国永平寺沢善と申す諸国行脚雲水の僧にござりまする。 まさしく 禅家の御寺と心得大和尚 ご在院ならば修行のため一問答 願わしゅう推参つかまつった。 問答の坊様だよ」。 お前様と 旅の坊様が向けえ合って旅の坊様が『何々は如何に~』ってこう 聞くだよすると お前様が 『何々の如し~』って答えるだよ。
あっ 親分じゃねえや家の大和尚はね 問答好きなんだよ うん。 なにしろ 家の大和尚はねああ 気まぐれなんだから。 今夜にも 大和尚ご帰院になられましたら御前 よろしゅうお取り次ぎを お願いしてまた 明朝 推参つかまつる。 「どうするつもりったって俺だって お前 ええ?『まだ 大和尚は帰らねえ帰らねえ』ってんで俺 お前 断わり続けるよ」。 ああいう坊様だでな『そんなに 帰らねえなれば帰るまで俺が ここの大和尚になるべ』って こう 言うだよ」。
「いや そこからね 問答の坊主ってぇのが やって来ましてね問答 やろうってんですけど私は 問答ができねえんでね『大和尚は 今 留守だ』ってそう 言ったんですよ。 「じゃあ 明日 来たらな『俺は ここの大和尚だ』ってんでなその坊主と問答 やっちまおうじゃねえか」。 明日 その坊主が来たらな俺は その大和尚の身装をして控えてるから俺の前へ連れてこい。
大釜にグラグラ 煮立ってるだよ」。 今 肥柄杓 入れたところだよ」。 うん?どうだ?大和尚に見えるか?」。 「なるほど お前はんは 根っからの大和尚だね~ ええ?鼻は あぐら かいててさ~鼻の脇の ほくろからどう 見たって大和尚だよ。 高麗縁の薄畳は雨漏りに 黄ばみ安信の描きしか 格天井の雲龍は鼠小便により 胡粉地となり金泥の丸柱は剥げわたる。 運慶の彫りか 欄間の天人は蜘蛛の巣に閉じられ旗天蓋は 朝風に翻る。
2~3問いかけましたるところお返事がございませんのでこれは 禅家荒行のうち無言の行と察しなれば我 また 無言にて問わんと『大和尚 ご胸中は?』と問えば『大海の如し』との お答え。 「当たり前だてんだよ~家の大和尚はな ええ?問答のほうじゃかすり取りなんだから な?荒神山の縄張りやなんか持ってるんだから。 蒟蒻屋の片手間に なんですね問答を 内職でやってたんじゃないんですか?」。