日曜美術館「生きた、描いた、恋した~関根正二の青春〜」

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この番組のまとめ

♪~大正時代 彗星のように現れた関根正二。 精神を病んだという噂も飛び交う中大正時代を代表する名作を生んだ 関根正二。 長野県上田市にある 信濃デッサン館。 この絵から この美術館が生まれたと言ってもいいぐらいの大変 大切な関根正二の自画像です。 それが 後にやっぱりだんだん 何度も何度もこの絵をね 手元に置いて見つめてきますとこれは 恐らく 関根正二自身が簡単に言えば 僕は 彼の絵に胸ぐらをつかめられたけど下はふと何かを決意したような顔。 関根が少年期を送った大正時代の東京の光景です。

酒井さん まず初めにお聞きしたいのが長く見てこられた酒井さんにとってこの関根正二の大きな魅力は何でしょう?最初 見た時はね 僕が間もなく30ぐらいの時かしらね愛があるんだよなっていうようなドキドキさせるところがあったし関根正二のような独学の人と言ったらいいかしら準備期間がない画家であった関根の事を思うと実際 残された資料などから本来 関根正二自身というのはどういう人柄 人物だったと?それが まあ言い方 あれだけどもポエジーというかないわば 感受性の台所みたいなもんだからね。

当初のタイトルに沿う 嫁入りの行列だという回想もあれば今のタイトルに沿う 野辺送りの葬列だという説もあります。 関根の朱色には伊東深水も目をみはりました。 赤外線写真を撮ってこの絵を調査。 赤外線写真には「子供」の絵の下に2人の女性のドレスの下半分が映り込んでいました。 関根は 女性の絵を潰して「子供」の絵を描いたのです。 ここの 「子供」の朱色の着物は関根は潰して 古い作品を潰してその上に 作品を描き直したりする事を頻繁にやっていたようですけどもその絵肌のマチエールの微妙な味わいというのを生かしている。