戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第2回

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この番組のまとめ

その中で見極めたのが丸山眞男武谷三男渡辺 慧 それにもとから アメリカでのつきあいがあった 都留重人と武田清子を足すと5人になるでしょ。 創刊に加わった5人のうち健在なのは思想史研究者で クリスチャンの武田清子さんです。 「言葉のお守り的使用法とは疑似主張的使用法の一種であり…などがお守り言葉にあたります。 そう考えた鶴見さんたちは「思想の科学」創刊から間もなく普通の人々の哲学を問う連載を始めます。

石井さんは 早稲田大学を卒業し時事通信社の出版部で働き始めたばかりの頃転向の研究に参加しました。 石井さんが調べたのは 政治家の…伯爵の家に生まれた有馬はトルストイの影響を受け農民組合運動に尽力していました。 有馬は 戦後A級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に入りますが「巣鴨に収容された時何故かわからなかった」って言うんですよ。 「生活綴り方運動」の中で「思想の科学」で紹介しようと募集したところ全国各地のサークル誌を紹介するため「思想の科学」には毎月 「日本の地下水」というページが設けられました。

中央公論社は無断で廃棄処分にしました。 当時 中央公論社の社員で「思想の科学」の編集実務を担当していた 橋本 進さん。 「思想の科学」では天皇制特集号の廃棄に対する対応を協議するため緊急の評議員会が開かれ20人が集まりました。 その会議に オブザーバーとして参加していたのが定時制高校の教師だった…11時間かけ 徹夜で討論した結果次のような「確認事項」をこの時の対応を批判する論文が「日本読書新聞」に掲載されました。