先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)選 上司とのうまいつきあい方▽徳川家康後編

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

家康から考えたら 信長よりも秀吉の方が 大変な上司?たちは 悪いかもしれない。 どういうふうに食べるのかというのを お考え頂きながら早速 秀吉という上司に家康が どう仕えていったのかその知恵ご覧頂きたいと思います。 ところが そんな家康が秀吉の恐ろしい手腕を目の当たりにする出来事が起きます。 家康の懐刀と言われた家老の石川数正を引き抜いてしまったのです。 石川数正は家康の4歳年上の幼なじみ。 冷静な情勢分析による意見だったにもかかわらず数正は 他の家臣から秀吉に 買収されているのではないかと非難されます。

しかし ここに至って家康は 秀吉の力を率直に認め豊臣家に従う事を決めます。 かつて秀吉に したたかな交渉術で重臣を引き抜かれた 家康。 ほんと おべっか使いでゴルフなんか行くと上の人に対しては どんなショットでも「ナイスショット」と言うんですよ。 見方を変えた?人間関係を構築するうえでその 「ナイスショット」もやっぱ これも 役に立つんだなと。 だけど 僕は 「ナイスショット」と言うの下手だし 言えませんからね。 これによって上司として仕える事になった秀吉と家康の関係ですよね。

家康は 秀吉にはあえて 知略を見せず愚直に仕えて安心感を与える事に努めます。 家康が秀吉に仕えて すぐの事秀吉は薩摩の島津家を討つため九州に遠征します。 秀吉の甥…いつでも 秀吉のもとに駆けつけられるよう…家康の 秀吉に対する気遣いが最も表われた出来事があります。 文禄5年 京都・伏見一帯を襲ったマグニチュード7の大地震で家康は すぐに 秀吉のもとに見舞いに行こうとしますが家臣たちは誰もが殺気立っている時に無防備に行くのは命を捨てるようなものと反対。